新年をディスプレイの前で過ごす

新年をディスプレイの前で過ごすことの悲しいこと悲しいこと。

就職を決めたら散々遊べるという幻想を抱いていたのだが、卒論のせいで見事に夢は破れてしまった。しかし、提出期限まであと10日を切る段階になると、それはそれで集中力が段違いになってさぞや良い論文が書けるだろう。と、思ったが関係なかった。

ひとつ許せないのは、今日からスキーに行っているバカ野郎がいることだ。A君、君のことだ。うらやましすぎる。ただし卒論ができていないと言う点に於いて、僕と同等だということを忘れないように。

時間のごみ箱

最近ネットに参加した人が、はじめてメールをくれた。僕は、こう返事を返した。半分冗談・半分本気。

自分用のアドレスがとれてよかったね。よく、はじめてメールを出した人に「ようこそ、ネットの世界へ」なんて言う人がいるけど、僕はこう言います。

ようこそ、時間のゴミ箱へ

DVD が発売される。

DVD が発売される。CD サイズで、ビデオが見られる機械だ。視点やストーリーも選べるというのだが、そういう面倒なことをしたいという人は、いないだろう。インタラクティブなソ フトウェアを求める人間が地球上にそう多くはないことは、LaserActive や CD-I で実証されているはずだ。そういう方向に市場を求めるのはおじさんたちの勘違いだと思う。

テレビが生まれて、随分時間がたった。この間、人類が操作するボタンの数は、「チャンネル」と「音量」から増えることはなかった。最近になって、よ うやく「早送り」と「再生」が加わったに過ぎない。それを考えれば、DVD プレーヤーの複雑なリモコンを見て、その未来に暗澹たるものを感じるのは自然なことだ。

明日から、世の中のレンタルビデオ屋が全てレンタルDVD屋にとって変わらない限り、DVD の爆発的な普及は望むべくもない。デジタル高画質はいいが、誰も画質なんて気にしていない。画質も糞もない 3本 1パック 500円のビデオテープは、スーパーの売れ筋商品なのだ。

みんなが欲しがっているのは、安くて小さくて録画ができる CD だと思うのだが、そういう肝心な商品はつくられない。つくれるのに。

なんにしても、録画可能な DVD がでたときに、本当の勝負が始まる。しかし、「良いものが勝つ」という論理が、全く通用しないのが明白である以上、その高性能に頼るのではなくて、コスト パフォーマンスとサービスで普及を目指すしかない。FM 放送が発明されたとき、AMは廃れると思われた。その結果はどうだったのか、ということだ。

ただ、俺の持ってる LaserDisk はもう終わったらしいということは確かだ。