阿藤快のために伊勢海老を煮ている

俺はなんで、阿藤快のために伊勢海老を煮ているのだ。しかも、殻を砕いてシノワで濾して何をつくっているのだ。ソースでもつくっているのか。

熱に浮かされた悪夢はとめどなく、僕を苛んだ。海老が煮えない。阿藤快が吠えている。「海老はまだかっ!」


4年前、四万十川から帰って、直ぐに肺炎になった。夏の暑い盛りに、脱水症状を起こして、病院の待合室で倒れた。医者には、「肺炎は癖になるから、何年かは気を付けるように」と言われていたが、今年はどうもあたってしまったらしい。

どんどん調子が悪くなって、声が出なくなって、体温がコントロールできなくなる。色んな事ができなくなっていく。起きあがっているのも苦しい。気が付くと、病んでいる人間の臭い、みたいなものが自分を包んでいる。これは何の臭いなんだろう。膿んだような、ゆっくり朽ちていくような臭い。

寝床の上で、ぐるぐる回る天井をにらみ付けていると、やる気も、未来も、動ける自分が前提になっていることにふと気が付く。そして、いつか自分の体がそのまま停止して、失われるということを思い出す。呼吸をしているのは、まごうことなく自分の肉体で、それはいつか止まるのだ。生きるというのは、なんて個人的な事なんだろう。

、、まあ、でもこれだけ調子が悪いと、何かしなくちゃという強迫観念にも似たものはなくなるから、それはそれで良い。ぼんやりテレビ見ているのがせいぜいだし。


注:もう回復しました。

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