羊ページの誕生日

もうすぐこのページの誕生日。

Web という、よく分からないものを使って、こんな長き渡り文章を書くことになるとは思わなかった。


6年前の冬、よく分からないままにこのページを書き始め、よく分からないままに続けてきた。個人がつくる Web ページは、その間にすっかり定着し、一つの文化になった。それが言い過ぎならば、より当たり前のものになった。昔は、Web に文章を書くには、まず、自分なりにその意味を考えなければならなかった。今は多分、書きたいから、という思いつきだけで十分だ。

しかし、個人が Web 上で文章を書き続ける難しさというのは、今も昔もそうは変わっていない。表現の制限ナシ、締め切りナシ、何もナシ。Web サイトというのは、今までの絵とか小説とか、そういう芸術とはちょっと違う。何万もの人間を相手にした、終わりの見えない大道芸。最近、そんな風に思う。

実際、プロでは無い人間が、これほど多量の文章を、不特定多数の人間に公開するようになったのは、おおげさに言えば、歴史上初めてのこと。本やCD や、テレビやビデオや、そういった複製芸術の進歩は、人間の生活をすっかり変えた。しかし、それすら覆す、「全ての人が全ての人に発信可能」というめちゃ くちゃな世界が、気が付けば目の前にある。


誰でもはじめられる、でも、多くの人がやめてしまう。

個人の Web サイトというのは、そういうものだ。Web に書き続けるというのは、あまり簡単なことではないし、誰もが Web で表現すべき事を持っているわけでもない。しかし、それを続ける人もいる。僕は、過去に何回かこのページをやめてしまおうと思った。しかし、やめられな かった。

表現する場所、というものが必要だから、多分、きっと、やめない。

なぜ表現し続けたいのかは、正直、分からない。ただ、続けることしかできない。表現を続ける意味、それはもしかしたら、人生の意味について語られる様々のことと似ているかもしれない。今、僕が考えつくのは、せいぜいそんなところだ。

注: だいどう‐げい[大道芸]大道で演ずる卑俗な芸。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]

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