蛇の毒

蛇の毒は、単に餌を得るための道具にすぎないという。

つまり、蛇の毒は本来攻撃のためにあるのではないし、蛇は攻撃のために生まれてきた動物でもないのである。人間側の勝手なイメージが、蛇を攻撃的で 致死的な動物だと決め付けている。大半の蛇は、人間なんて食べないので、人間相手に毒を使いたくはない。しかし、人間は蛇の致死的な能力に怯え、蛇を捕獲 し、殺そうとする。であれば、彼らも、その致死の液体を戦いに使わなければならなくなる。彼らは、本当は食事のネズミを獲りたいだけなのに。

別に蛇の話しがしたいのではない。人の話しをする。


人は、自分には理解できないこと、力の及ばないことをする他人を恐れる。ありていに言えば、自分には無い能力を持っていたり、自分の立場を脅かすよ うな力を感じさせる他人に不安感や不快感を持ち、それを排除しようとする。クラブで足の速いヤツ、クラスで偏差値の高いヤツ、ゼミで弁の立つヤツ、バイト でお客に評判のいいヤツ。自分の能力と、相手との差。それは、やっかみとともに、恐怖を呼ぶ。そして恐怖は、理由無き攻撃を生む。

直接殴り合ったり、剣で雌雄を決することがなくなった現代、人と人との戦いは、知恵を絞った策謀の仕掛けあい、あるいは、卑劣さ比べになる。人の知恵は、蛇の毒と同じように、本来は攻撃のためにあるのではない。しかし、そのように使う事だってできる。

冷静に考えれば、足の速いヤツは、試合で勝つことが目的だ。偏差値の高いヤツは、良い大学、お客に評判が良いヤツは給料か、仕事への情熱か。いずれにしても、他人を負かすことが目的では全くないはずだ。しかし、それが怖く見える。その牙が、自分に向くことを恐れる。

恐怖が、人の目を曇らせ、冷静さと分別を奪い、無意味な争いと足の引っ張り合いを生む。

蛇は、生命を脅かされたと感じれば攻撃してくるが、それ以外では極めて安全な動物だ。彼らは優秀なハンターであり、ネズミなどを捕食して、結果として人間の育てる穀物なども守る。理解しあうことは難しくとも、お互いにお互いの役割というものがあるのだ。

人と人も同じこと。蛇を殺すのは愚か者のすることだ。

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