作者が弱っている

季節や自然や動物の話題が、「今日の一言」に出始めると、それは作者が弱っている証拠だ。そういう、意見があるらしい。ホントかどうか知らないが、とにかく今日は動物の話だ。

一つの事実として、僕は動物に強い。別に誇ることではないが。

それは、動物が大好き、ということではない。特に好きではない。僕の家の近所には、ペットとして「カモ」を飼っているとんでもない家があって、そこのカモの妙な鳴き声には日ごろから辟易している。あるいは、道をウロウロしている身元不明の犬猫と、ベタベタ唾液混じりのスキンシップを図るような趣味も、僕には無い。特に、動物が好きなわけではないのだ。

しかし、たいていの動物は、僕がそいつを好きであるか否かに関わらず、友好的、もしくは服従的、もしくは愛好的である。僕は、誰もお手をさせられない犬にお手をさせたりできるし、普通は難しい初対面の猫を手なずけることもできる。動物が特に好きなわけじゃないのだが。

ある時、神社の境内で、池の辺に座り、ぼんやりと水面を見ていた。秋の気配が満ち、寒々しい景色。その日、弱りに弱りきっていた僕は、何をするでもなく、枯れた蓮の茂みを眺めていた。すると、そこらへんをウロウロしていた鳩どもが、僕の足のつま先に乗っかり始めた。 1羽、2羽。そして、僕にはおかまいなしに、つま先の上で喧嘩(もしくは、じゃれあい、区別不能)を始めた。

僕は枯れ木か何かか?

犬猫に強い、というのであれば、ある種の接し方やテクニックの要素があるかとは思うが、野生の鳥類となると、先天的資質なくしては、なかなか難しいところだ。

動物は我々の心を見透かす、と思う。彼らの頭が良いのかどうかは知らないが、少なくとも「気配」のようなものには、とても敏感だ。表面上、いくら可愛がる素振りを見せても、その奥に「よこしま」な気配があれば、たちどころに見破る。特に、「俺は人間様だぞ」という気配を、彼らは嫌う。まして、「動物と仲のいい俺」みたいなもの無理強いするのは、更に良くない。

僕は、動物は別に好きでもなんでもないので、単に「ああ、いるなー」と思って彼らに接する。逆に、そういう距離の置き方が、彼らに対しては重要なようだ。

なんだ、人間同士と同じじゃない。

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