神戸から「今日の一言」を書いていて思ったのは、人は何かをしているときには、自分が今していることの本当の意味が分からない、ということだ。ホテ ルに戻って、あるいは帰りの新幹線の中で、さっきまで自分が体験したことを書こうとしても、何を書けばよいのか、書かなくてよいことはなにか、それが分か らない。だから、とりあえず自分がやったことを、定量的な事実を、書き留めておくことしかできなかった。
神戸の旅は、事前にほとんど計画をたてない旅であり、そして、どちらかと言えば現実的あることを常に要求される旅だった。こう書くと、奇妙に思われ るかもしれないが(無計画な旅がなんで現実的?)、絶えず進路や道のりを考えつつ歩いたり、コストと利便性を考えながら乗り物を選んだりする、そういった 作業は極めて現実的で散文的な作業なのだ。それだけに、何かをじっくり考えたり、なにかに思いを馳せることも無く、ただそこではいろんな体験を体の中に詰 め込んだに過ぎない。
そのうち、あるいは改めて神戸への旅について書くことになるかもしれない。