講演の内容として「ケーススタディーを話してください」と、よく言われる。セミナーでは、ケーススタディーの受けが良いのだ。でも、そういうものにどれ程の意味が有るだろうか。世界は、ケーススタディーに現れるようなもので、支えられているのだろうか。僕は、世界を支えているのはケーススタディーに出るような最先端、ではないと思っている。
借りパクされるパルスオキシメータとか、何年もデザインの変わらない鉗子とか、多くの人が諳でオプションを使えるlsコマンドとか、そういうものが実際には世界を支ていると思う。普通の日常を支える、当たり前すぎて存在さえ認知されないモノ達が、世界を支えている。
それらは歴史には、ほとんど残らないだろう。僕も含めて、そういう歴史に残らないものが、歴史を作っている。