Nikon F100

Photo: Nikon F100 and Peace Lights, Copyright(C) 2000 Site503.

Photo: Nikon F100 and Peace Lights, Copyright(C) 2000 Site503.

Nikon F100(1998年発売)は、Nikon AF 一眼レフのフラグシップ・モデル F5 を基に、マグネシウム・ダイキャストで軽量化を図ったもの。手軽に使えて、しかもホンモノという、絶妙なラインの製品だ。F5 に比べると、握った感じ一回り小さいので、女性にも扱いやすい。(僕は手が小さいから、F100 が丁度よい)また、F5 と同じくプレビュー機能を備えているのも、大きなポイントだ。

5年以上 T2 を使い続けて、そろそろ一眼レフを買おう、と決心。店頭で、機種やメーカー名を見ないで、片っ端から使ってみて、選んだのがこの F100。しっとりしたグリップ感と、シャッター音の小気味よさ。結局、カメラは道具。道具としての魅力がなければ、いくら性能が良くても、意味がない。

ボディーのがっしり感、ミラーショックの少なさ、見やすいファインダーなど、機械としての優秀さは、Nikon ならでは。精度の高い分割測光による、AE はかなり優秀で、現代の電子制御カメラとして、良くできている。トータルで見て、撮影者の期待を裏切らない、極めて正確で厳密なカメラ。見たままを撮ると いう意味での能力と、ムラのない撮影結果には文句の付けようがない。趣味的にカメラ自体を楽しむというよりは、きちんと写真を写すための道具としての色が 濃い。

最後に、いまいちな点を。ダイヤルとスイッチを組み合わせる独特のオペレーションは、複雑で慣れが必要。その組み合わせ方法も直感的とは言いがた い。こうした機能の複雑化と、操作体系の混乱・悪化は、最近のカメラに共通の問題。操作しきれない分量の機能は、本来必要ないと思う。なお、上位機種であ る F5 に比べての最大の相違点は、ファインダー視野率が 96% である点。これは、個人的にはほとんど気にならない。

注:羊ページ管理者のF100とピースライト。なお、管理者がピースライトを吸って いるわけではない。

植物園#3 何で写真を撮るのかなぁ

Photo: 2002. Kyoto, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Kodak EB-2, F.S.2

Photo: 2002. Kyoto, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Kodak EB-2, F.S.2

何か、綺麗なものを撮ろうと思っている。
何か、ホッとするものを撮ろうと思っている。

僕は、写真が世界を変えるとか、歴史をつくるとか、そんな風には考えていない。誰かを幸せにするとか、人類のためになるとか、そうも思わない。

僕は好きなものを撮っていれば、べつに、それで良いのだ。もっと難しく考える人もいるだろうし、もっと厳しく考える人もいるだろう。何も考えない人もいるだろう。それはそれで、良い。


写真を撮る人というのは、山ほどいる。かつてもいたし、これからもいるだろう。ありきたりの写真を、ばさばさ撮って、いったい何の役に立つのか?なんの意味があるのか?

映画監督スタンリー・キューブリックの言葉があった。映画が生まれて約 100年、これまでに沢山の映画が撮られてきた、だから、
「どんなシーンでも既に描かれている。だが、大切なのは、もっとよく描くことだ、、」

そう。もっとよく描こうとする先に、自分自身の表現が必ずある。

植物園#2 淀んだ池の睡蓮

Photo: 2002. Kyoto, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Kodak EB-2, F.S.2

Photo: 2002. Kyoto, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Kodak EB-2, F.S.2

写真に興味のない人にとって、カメラ好きがファインダーをえんえんと覗きこんでいる様は、
「なにが面白いんだかわからない、、」

のではないかと思う。僕も、数年前まで、自分が写真を趣味にするとは思っていなかった。あんなもの、何が面白いんだ、、。


市立植物園、温室。

話の内容から推測するに、それは取引先の社長と、そのお守りをしている重役、といったところだろうか。ふとした空き時間に、写真好きの社長が、植物園にいくことを所望したのだろう。社長は PENTAX の一眼レフに望遠ズームをつけて、嬉しそうに花を撮っている。
「どうですか、社長、いろいろ咲いとりますなぁ」
「それにしても社長、いろいろな色のがありますなぁ」
「いやー社長、どうも私にはこう、写真というのはまるで分かりませんが、、」

重役は暫く我慢していたが、蒸し暑いこと極まりない温室の中で、じっと花に向かっている社長にいい加減愛想がつきたらしく
「先に行っていますので、どうぞごゆっくり、、」

と、姿を消してしまった。花なんて、目で見りゃ十分だ、と思っているに違いない。


実は、写真というのは、見たままが写る、というものではない。様々な撮り方によって、まるで違うものができあがる。薄淀んだ人工池に咲いている睡蓮 も、ちょっとした角度やら、露出やらを工夫すると、ハッとする美しさを撮る事だってできる。これをこれを撮ろう、という瞬間を見つけるのは楽しい。そし て、どんなものが出来上がりそうなのか、それは、ファインダーを覗いている人間だけにしか分からない。

鬱蒼とした羊歯の陰から、睡蓮が見える。僕と社長は、時を同じくしてそのターゲットを発見した。しかし、社長は日光が翳ったのを見て諦め、さっさと先に行ってしまった。僕は、座り込んでじっと光が戻って来るのを待った。
「まあ見ていろ、、光が当たれば、この睡蓮は意外に綺麗だぞ、、、」

そして、光は戻ってきた。