悲しい夢

悲しい夢を見て、目が醒めた。

目を開けて、全てが夢であったことを理解してもなお、現実の体の中の自分に違和感を感じる。一時であっても、僕は別の自分、別の可能性を生きたのだ。

ひんやりした空気。まだ薄暗い、払暁の部屋。これが、いまの自分のいる場所。それを、また受け入れなおすまでのしばらくの時間、ぼんやりとデジタル時計の数字を見つめていた。奇妙な浮遊感を抱いたまま、、。

今日の人間観察

今日の人間観察。

ミーティング中、客のおっさんが、僕の渡した名刺の裏に似顔絵を描いていた。
こっそりやってるつもりでも、バレバレだって。

最寄駅、回送電車に駆け込み乗車している人がいた。
乗ったはいいが、寂しそうだった。

以上。

リンク

羊ページは、他サイトへのリンクを、僕の個人的、かつ実世界での(妙な表現だが)知り合いに限って掲載している。これは、僕がネットに友達がほとん どいない、ということもあるし(仮想世界でのお付き合いというのは苦手)、人気が無いのでリンクを申し出てくれるサイトがあんまりない(リンク張りにくい かな?)ということもある。しかし、最大の理由は、僕自身、ネットの世界独特の「付き合い方」にあまり首を突っ込みたくない、という点にある。


例えば、羊ページのリンクにはコメントがついている。いくぶん失礼なことも書いているが、相手は皆、現実の世界でよく知っている友達。だから、「こ れぐらい書いても怒らないだろう」という読みがある。しかし、同じ調子で、メールのやりとり程度の関係しかない人を相手に、リンクのコメントなんて書いた らどうなるか。かなりの確率で、むかつかれるに違いない。

あるいは、Webサイトの維持というのは、なかなか難しいから、リンク先が開店休業になったり、路線をかえたり、とち狂ったり、行方不明になったり するかもしれない。もともと友達なら、「まあ、友達だしいいか」で済むが、ネットでのお知り会いだとそうもいかない。リンクを消したものか、維持したもの か、胃が痛くなる。まさか、「最近、貴方のサイトはとち狂っているとしか思えないので、リンクを外します」とは言えまい。あるいは、「たぶん死んでると思 うので、リンクは勝手に消しました」とも書けまい。


そもそも、リンクと言うのは、何かの関係があるから、張られるものだ。(元々は、ドキュメントの内容に関連するリソースにリンクするための機能だ) で、もしその「関係」の根拠が、「ネット上での知り合い」だけにあるとしたら、こんなに曖昧なものはないと、僕は思う。もちろん、ネットの上での知り合 い、という、ある種の「軽さ」を楽しめる人には良いのだろう。そういう「軽さ」は、確かに楽しい。しかし、僕には、どうしてもそういう軽さは馴染まない気 がする。地に足のついていない感じが、なんとなく僕を疲れさせる。

どんな疲れか、正確に言い表すのは難しい。無責任で一面的なネット上の自分の人格の上に、築きあげる関係。もう一人の自分。唯一似ている気がするのは、夜の街で遊んで、帰ってきたときに感じるような疲れ。そんな感じだろうか。

注1:羊ページは、個人のサイトからのリンクについては、自由に行っていただいて結構です。むしろ、リンクするべき。
注2:別に夜の街で、怪しく遊んでいるわけではない。誤解無きよう。