3.11で学んだのは、最良の選択というのは存在しないと言うこと。しかし、最悪の選択というのは有って、その結果がいかに悲惨で重大だったとしても、それはやはり我々に降りかかってくるという事だ。今回、あの時よりはまともな政権が、あの時よりも巧く事態を扱っている。
「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」 (新型コロナウイルス感染症対策専門家会議)の3月19日版がリリースされている。僕は、今起こっていることに向き合う皆がこの資料を読むべきだと思うし、そこから議論を始めればどれだけ貴重な時間が節約できるだろうとは思う。しかし、どんなプロジェクトでも読まない人は読まないし、そんな中でもプロジェクトは進めなくてはならない。いつもと同じ事で、チームも、リソースも選べないところから始まる。ビジネスであれば、タイミングやGo / No goを選べるかもしれない、しかし、今はそれは選べない。
これを読んで分かるのは、日本の(というか全ての)医療システムというものが、通常の疾病の数量をベースに構築されているのであって、それを大幅に超える患者数を受け入れるキャパシティは無いのだ、という単純な事実だ。そして、そのキャパシティを急激に増やすことはできない。
この単純で、致命的なリソースの制約を前提にして日々の戦略を考えなければならない、この文章を書いている人達の沈痛な覚悟を、知るべきだろう。サッカー場に医療用テントが展開され、戦時体制になっている米国の姿を、我々は冷ややかに眺めることは出来ない。
この文章は、日本の新型コロナウイルスとの戦いの中で、現状何が分かっていて、何が分かっていないかを誠実に書いている。その上で、今の日本の状況が、現場の努力と、早期の対応と、積み上げてきた社会システムの上に、かろうじて成り立っている脆弱な状況である事を率直に認めている。多くの利害関係者が居る状況で、この文章を書かせた状況の深刻さと、メンバーの覚悟を受け止めるべきでないだろうか。
未知の脅威に対するプランを立てること、そしてそれを実行することの難しさに、僕たちは日々直面している。未だ起こってもいない事態の回避に、膨大なコストを払う難しさだ。自分自身が、自分の部署のBCPを書きながら、そのバランスの困難さに驚く。
「それ」が起こらなければ、対応は成功だったのだろう。あるいはやり過ぎだったのかもしれない、それは分からないのだ。起こってしまえば、やり直しはできない。検証出来たときには、遅い。最善の選択は常に存在しないから、常に批難はあるものと理解して、日々の選択をするしか無いのだ。
そういえば、自分の日々の生活を考えると「なお、外出機会を確保することは日々の健康を維持するためにも重要になります。お一人や限られた人数での散歩などは感染リスクが低い行動です。(同文書15ページ)」だそうなので、引き続き川辺などをドラクエウォークしていきたい、孤独に。
※スマホで読むことを前提としていないPDF版のみでの公開をやめて、Web版も公開して、とフィードバックしておいた。
孤独はかわいそうなので、
先日お土産をおくっておいたよ。
あまりものだけど。
あの大量のお土産の贈り主がやっと分かった。(ダイアログが出なかったので分からなかった)ありがとう!