1977/2/25, 1945/9/10

WWE の試合をバグダッドでやっていた。米軍の M1 戦車が取り囲む中にリングをつくって、兵士相手の慰問だ。奴らは、世界の何処にでも、エアコンと、ステーキと、パーティーを持ち込む。ベトナムと、何が違 うんだろう。戦争は、やっぱり勝たないとダメだ。負けたら、どんな屈辱も受け入れなくてはならない。でも、一番良いのは、戦争に関わり合いにならないこと だ。それは、本質的に不愉快な出来事なのだ。

易占いで”波風を立てるな”と言われた。でも、わたしはそんな忠告を気に留めず、「ワインやステーキやエアコンが欲しいだなんて、あなた自身がベトナムの愚を犯そうとしてるわ」と、フランシスにテレックスを送った。*1


よく分からないのが、たった半世紀前に、連合国 (United Nations) の占領軍に「占領」された日本人が、イラクに占領軍を送ろうとしていることだ。それは、国連 (United Nations) の旗のもとですらない。いかなる場合にも、戦争という「状況」に参加してしまうことは、賢いやり方だとは思えない。しかも、これは他人の戦争だ。

藤沢の駅にて米兵の一隊四、五十人ばかり乗車せむとせしが、客車雑沓して乗るべからず。米兵日本人乗客を叱咤し席より追い払ひて乗り行きたり。(中略)これかつて満州にて常に日本人の支那人に対して為せし処。因果応報、是非もなき次第なりといふ。*2

注1:1977年 2月 25日の日記、フィリピンで撮影をする夫フランシス・コッポラへのテレックス、『地獄の黙示録』撮影全記録, エレノア・コッポラ, 小学館文庫, 2001年
注2:1945年 9月 10日の日記、隣家の人に聞いた藤沢駅での昨日の出来事, 摘録 断腸亭日乗(下), 岩波文庫, 永井荷風, 1987年

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です