真っ青の空に、オレンジ色の炎が禍々しく燃え上がった。深夜、何人かで久しぶりに酒を飲みに行ったクラブのテレビには、いつものカラオケ画面ではなく、崩落する瞬間の貿易センタービルが繰り返し映し出されていた。
一見、自分たちにはなんの関係もないように見えて、この日が歴史を変える一日になると、なんとなく感じた。漠然とした不安感と、冷たい興奮が漂っていた。
「とにかく、そうめんを喰おう」
「そうそう、とにかく食べないと」
「ゴマ取って」
「むむ、うまいね」
ズルズル。
「うんうまい」
ズルズル。
クラブの若いママがつくった、たぶんこの夏最後のそうめん。(この店が、そうめんを出すとは知らなかった)ベネツィアン・グラスに盛られたそうめん。
「この日に、そうめんを喰ってたこと、きっと忘れないだろうなぁ」
ズルズル。
悲しみは、たやすく利用されて、憎しみへと転化される。悲しみが産み落とした憎しみを、誰が救ってあげられるというのか。”AMERICA UNDER ATTACK” というインポーズが入っていたCNNの画面は、ここ数日で、いつの間にか “AMERICA’S NEW WAR”に変わっている。
「映画みたい、いや、映画どこじゃない」
と誰かが言った。
映画というのは、いつから、そんな血なまぐさいものになったのか。人の想像力は、今や暴力と憎しみに満ちているのか。
僕は、人が死なない物語を書きたい。
注1:歴史を変えるという意味では、この事件は、僕の夏休みの旅行先をトルコから屋久島に変えてしまった。まあ、ささやかなことではあるのだけれど。