埋め草としての音楽、埋め草としての物語。
そういうものには、価値が有るのだと、最近思う。ずっと気を張って生きるのは無理だし、常に教訓を得続けるのは辛い。というか、もういいや、お腹いっぱいだわという気分になる。教訓も、歴史も、先人の教えも、もう充分だ。意味の無いtweetと、教訓の無い物語を、横目で読んでいたい。
音楽も、レコメンドエンジン任せだ。それで良いと思っている。部屋では、気にならない音楽を、YAMAHAのネットワークレシーバーが流している。プロのミュージシャンは、ホテルのフロアでBGMとして奏でられるピアノにも、つい耳が行くと言っていたな。
胃にもたれない、軽いものだけを聞いて、軽いものだけを読んでいきたい。そういう気分なのだ。