生き残れない人々

うちの近所に、橋の撮影スポットが有る。毎日毎日、プロもアマも、コンデジから本気一眼デジまで、いろんな機材を持った、いろんな人々が、ただ一種類のフレームを目指してやってくる。

写真を撮る、そして何かそれを作品にする、という意味においては、まったく無意味だ。少なくとも、何か創作を志そうというものが、雁首を揃えて一斉に川面にレンズを向けるなんて、何の意味があるのか。


実は、この橋には、その下を潜る通路がある。そこから眺める景色は面白い。橋の両岸には長いリバーウォークがあって、そこから橋自体を見ることも出来る。いくらでも、自分の視点を入れられる。

なのに何故、同じ立ち位置で、同じような写真を撮りたいのだ。趣味?だったら、何も失うものは無いのだから、自分の視点を大事にしたらいい。プロ?だったら、凡庸の素材集みたいなフレームを撮るな。そう、どっちにしたって、そんな所でカメラを構えるなよ。

でも、そんな光景を見れば見るほど、成功できる人が一握りな理由が分かる。誰も、そこから抜け出るちょっとした勇気も、心の自由さもないのだ。それをもった少しの人が、やっとどうにか、スタートラインに着ける。そういう事なんだろう。

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