本日の、今日の一言には、ゲイリー・マーシャル監督「Frankie & Johnny」のラストシーンに関する記述が含まれています。まだご覧になったことが無い方は、ご注意ください。
寝る間際、久しぶりに映画を観た。ゲイリー・マーシャル監督の、「Frankie & Johnny」。
出演はアル・パチーノ、ミシェル・ファイファー。キャストは豪華だが、筋は恋愛恐怖症のウイトレスと、バツイチのコックの恋模様という、えらく地味な映画。夜も遅かったが、画がキレイだったのと、共演の二人の会話の妙で、つい最後まで見てしまった。
ラスト・シーン。雑然とした部屋に黄金色の朝日が差し、街は動き出そうとしている。二人は、アパートの出窓に腰を下ろして、歯を磨いている。ついさっき、二人は別れようとしていた。一瞬のすれ違いが、あるいは永遠に互いを隔ててしまったかもしれない。その時女は、自分の運命を、自分だけで背負うこ とに、決めかけた。でも、そうはしなかった。もう一度、自分以外の誰かと、生きることを選んだ。そんな出来事を越えて、二人は少しだけ新しい場所に立っている。新しい場所、向かい合って座る。朝日の街を見つめて、歯を磨いている。
たぶん僕は、出窓に腰を下ろして、恋人と歯を磨いたことはないと思う。でも、そういう朝もあったんじゃないか?そんな気が、ふとしてしまう。こんな 空気が流れるときが、確かにある。やがて、記憶は薄れ、失われてしまうのかもしれないけれど。ラスト・シーンを、そんなことを思いながら、観た。
監督のゲイリー・マーシャルは、プリティー・ウーマンで名を馳せた監督。ただ、僕は、こういうスケールの小さい映画の方が、むしろ好きだったりする。
邦題:「恋のためらい フランキーとジョニー」あまりにも、あまりな、邦題。これじゃ、誰も見ないよ。