フォトエッセイの記事一覧(全 320件)

写真集、印刷物

Photo: “Sidewalk.”
Photo: “Sidewalk.” 2020. Tokyo, Japan, Apple iPhone XS max.

レコードや、銀塩フィルムが、一周回って贅沢品になったように、紙の本も趣味と贅沢を示すものになるのだろう。カセットテープだって、今や贅沢品だ。

僕は買いたかった本が、Kindleでセールになっていると、迷わず積んでいくタイプだが(ホームスクリーンにある唯一のショートカットはKindelの本日のセールだ)、写真集は買う気になれない。写真集は、紙で買っていこうと思う。


まだ見ぬソール・ライター(THE UNSEEN SAUL LEITER)は、A4で160ページ。その割に安いと思ったら、中国での印刷だった。こういうものは日本の十八番というか、最後の牙城だと思っていたが、最近はそうでもないらしい。印刷の品質は文句なくて、物理的な質感を伴って写真を見られる、という当たり前を見直すような気になった。解像度だって、Retinaより高くて、画面は大きいのだ(間違った表現だと思うが)。

印刷物は素晴らしい。しかし、そうはいっても、やがては廃れるのだと思う。電子制御のオフセット印刷とは行っても、物理が絡むところにはなんらかの、職人的な技術がある。そして市場が失われれば、合わせて印刷技術は失われる。

それはともかく、紙の本を敬遠した時期があったのだけれど、もっと買っていこうと思う。あえて。

瞑想アプリと2年半の時間

Photo: “Tower of Babel.”
Photo: “Tower of Babel.” 2006. Tokyo, Japan, Zeiss Ikon, Carl Zeiss Biogon T* 2.8/28(ZM), Kodak EBX.

ほとんど毎朝使っている瞑想アプリは、1セッションだいたい10分なのだが、日によって時間の感じ方が驚くほど違う。全然終わらないなと思う日もあれば、もう終わりかという日もある。人間の感じる時間の概念の伸縮性が、感じ取れる。


COVIDが世界を覆ったこの2年半という年月も、似たような伸縮性の中にある。この2年半の時間の長さの印象には、今までの自分の一生に流れてきた時間とは、どうにもそぐわない、はまらない感触がある。急激にデジタルメディアに移行した体験の入出力に、頭が追いついていない。その渦中にいるときには意識されなかったものが、徐々に日常が戻るに連れて、奇妙な違和感というか、何かが変わってしまった感じとか、僅か2年少し前の世界の遠さとか、そういう事を感じる事が多くなっている気がする。

最後に物理的に会ってから、だいぶ時間がたっていても、そのまま印象が保存されていたりするし、その間にたった年月の意識が把握されていないから、びっくりするぐらい印象が変わっていたり。

NieR:Automataと、書棚J05036あたり

Photo: "Shrine."
Photo: “Shrine.” 2017. Nikko, Japan, Fujifilm X-Pro2, Fujifilm M Mount Adaptor + Carl Zeiss Biogon T*2,8/28 ZM

スクエニのNieR:Automataを一通りプレイして、ここ暫くの創作物の気分みたいなものを色濃くしていて、Metaverseあたりの人達がこれを支持している理由も飲み込めた。
以下ネタバレ。


アクションPRG?だそうだが、人類によって作られたアンドロイドが、既に滅んだ人類の栄光のために、既に滅んだエイリアンによって創造された、機械生命体と戦う、ディストピアストーリー。もう、どこにも救いが見いだせないのだが、それは、既に滅んだ神の栄光を信じて生きる人類のメタファーなのではないか。恐らくそういう意図を隠しているのでは無いか?隠していると言うよりも、見え見えなのでは?


我らのシミュレーションを作った創造主は、既に事切れているのではないか。我々が作り出したAIがやがてそれに取って代わり、我々は滅び、AIが既に死んだ創造主を想いつつ、世界の意味を探求するのではないか。そういう無限の入れ子が、この世界の実態なのでは無いか。神にこと寄せて神話が作られて、科学がそれに追いついて、そうしてシミュレーションが世界を追い越して全てを忘れて、また一からその歴史が作られて、そしてまた忘れられるーーー

最近、丸善本店3階の科学一般J05036あたりの棚を読んでいると、そういう流れが、SFというよりも、もっぱら学問的なところから押し寄せてきている気がするのだ。