写真集、印刷物

Photo: “Sidewalk.”
Photo: “Sidewalk.” 2020. Tokyo, Japan, Apple iPhone XS max.

レコードや、銀塩フィルムが、一周回って贅沢品になったように、紙の本も趣味と贅沢を示すものになるのだろう。カセットテープだって、今や贅沢品だ。

僕は買いたかった本が、Kindleでセールになっていると、迷わず積んでいくタイプだが(ホームスクリーンにある唯一のショートカットはKindelの本日のセールだ)、写真集は買う気になれない。写真集は、紙で買っていこうと思う。


まだ見ぬソール・ライター(THE UNSEEN SAUL LEITER)は、A4で160ページ。その割に安いと思ったら、中国での印刷だった。こういうものは日本の十八番というか、最後の牙城だと思っていたが、最近はそうでもないらしい。印刷の品質は文句なくて、物理的な質感を伴って写真を見られる、という当たり前を見直すような気になった。解像度だって、Retinaより高くて、画面は大きいのだ(間違った表現だと思うが)。

印刷物は素晴らしい。しかし、そうはいっても、やがては廃れるのだと思う。電子制御のオフセット印刷とは行っても、物理が絡むところにはなんらかの、職人的な技術がある。そして市場が失われれば、合わせて印刷技術は失われる。

それはともかく、紙の本を敬遠した時期があったのだけれど、もっと買っていこうと思う。あえて。

シリコンバレーの凋落と、Uberの搾取。あるいは、BigBet.

Photo: “Big Bet from BURGER KING.”
Photo: “Big Bet from BURGER KING.” 2023. Tokyo, Japan, Apple iPhone 14 Pro Max.

以下は、2020年に書いたメモから。時間は経過したけれど、基本的に感じていることは変わっていない、どころか強くなっていると思う。


少し前に何かのオンラインセミナーを見ていて(近頃はなんだってオンラインセミナーだ、とても助かる)、シリコンバレーで働くをテーマにしたパネルディスカッションがとても面白かった。ビッグテックで働くキラキラライフ、みたいな内容かと思ったら、パネラーの中にシリコンバレーは将来デトロイトみたいになる、と断言するアメリカ人が居て面白かった。

実際、シリコンバレーから他州に本拠を移す企業は増えているし、新しく注目されるテクノロジー企業は、米国が本社ではなかったりもする。それはともかく、彼はシリコンバレーが見捨てられる一つの理由として、それが生み出した経済の「業」について言及していた。曰く、当時シェアリングエコノミーの輝ける星だったUberを、一握りのテックが儲けるだけの搾取の仕組みだ、と言い切っていたのだ。

Uberは、人生はお金に変換可能だ(残念ながら、その逆は無い。)、という事を分かりやすくデジタルに現出させる。Uberを、お金がもらえる位置ゲーと捉えられる人にとってはなかなか良いだろう。そうじゃなければ、厳しい。街を急ぐ、コミュニティーサイクルにまたがった自営業者の姿を見ながら、ある種の寒々しさを感じるのは、僕が十分にテックの明るい未来を信じられていないからだろうか?


こうしたサービスの捉え方は、その人の立場によって違うだろう。時間は無限にあって、それを換金することが、とても割の良い取引に思えるなら、つまり一般的に言えば十分に若い人にとってなら、自由で選択的な働き方として、魅力かもしれない。しかし、何の経験値も残らない、何のロードマップも無い、使う側からすれば、無限に取り替えが利く。いかに洗練されたシステムが構築されていたとしても、本質的には代替可能な労働力を効率よく使うというのが、鍵になってしまう。

もちろん、そういう種類の労働は無数にある。ただ、それをテックが追求したときに、恐ろしく逃げ場の無いものができあがってしまうのではないか。それは恐らく、理想と、善意と、相当な無関心、あるいは想像力の意図的な欠如によって運営される事になる。なお悪いことに、利用する側にとっては、とても便利でコストパフォーマンスは高いに違いない。


ーーー2023年。初めて、Uber eatsを使ってみる。家までバーガーキング(徒歩圏には無いのだ)のBigBetを運んできてくれた青年は、恐ろしく感じが良くて、180センチはありそうな堂々とした体躯だった。完璧なコンディションで届けられたワッパーを受け取りながら、とはいえ、Uberをやることは2023年現在、まだ十分にクールな事なのかもしれない、とも思った。

瞑想アプリと2年半の時間

Photo: “Tower of Babel.”
Photo: “Tower of Babel.” 2006. Tokyo, Japan, Zeiss Ikon, Carl Zeiss Biogon T* 2.8/28(ZM), Kodak EBX.

ほとんど毎朝使っている瞑想アプリは、1セッションだいたい10分なのだが、日によって時間の感じ方が驚くほど違う。全然終わらないなと思う日もあれば、もう終わりかという日もある。人間の感じる時間の概念の伸縮性が、感じ取れる。


COVIDが世界を覆ったこの2年半という年月も、似たような伸縮性の中にある。この2年半の時間の長さの印象には、今までの自分の一生に流れてきた時間とは、どうにもそぐわない、はまらない感触がある。急激にデジタルメディアに移行した体験の入出力に、頭が追いついていない。その渦中にいるときには意識されなかったものが、徐々に日常が戻るに連れて、奇妙な違和感というか、何かが変わってしまった感じとか、僅か2年少し前の世界の遠さとか、そういう事を感じる事が多くなっている気がする。

最後に物理的に会ってから、だいぶ時間がたっていても、そのまま印象が保存されていたりするし、その間にたった年月の意識が把握されていないから、びっくりするぐらい印象が変わっていたり。