空気公団:融

Photo:2001. Sumida-River, Japan, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Fuji-Film RHP III, F.S.,

Photo:2001. Sumida-River, Japan, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Fuji-Film RHP III, F.S.,

道路公団、地下鉄公団、公団もいろいろあるけれど、今日紹介するのは空気公団。

このアルバム「融」が、メジャー 1作目ということで、あんまり有名なグループではないと思う。僕もケーブルテレビの CM でちょっと見かけて、そのあんまりなバンド名に「やられた」と思ったのが初めてだった。

女性 3人、男性 1人の摩訶不思議なメンバー構成。お話、みたいな歌詞。ピアノと、オルガンと、ギターの、ちょっと変わった編成。なんだろう、ジャンルは POPS だろうか。少なくとも、CD 売り場ではそのように分類されている。


妙なヘタウマバンドではないけれど、なんというか悪い意味ではなくてプロっぽくなく、無理矢理感動とか、こみ上げる共感とかそういうのでもない。例えるなら、学校の時の友達が出したアルバムが届いたような、しかも、その娘のことをちょっと好きだった、みたいな感じ。

普通の感覚、普通の感じ。

ちゃんとした音質とクリーンなミキシング。意図されたアナログ感覚とか、生活感とかは、あくまでバランスしていて、破綻の中に芸術があるとか、そういうのではない。僕的に、それはとても気分がいいレンジだ。

空気公団、いいね。


追加情報:マスコット??のグリンピース君は、これ に似ているような気がするのです。兄弟?


解説:月島あたりから、隅田川はかちどき橋方面を望む。都会でも、こんなに空が綺麗なことがあります。
注:いつのまにか、メンバーが減って、3人になってました。

十七歳の地図

「オザキが来てるっ!」

病棟がにわかに騒がしくなった。入院しているプロデューサーのお見舞いに、オザキユタカがやってきた。その時、僕はまだ中学生だった。

198X.2.24

有名人らしかったから、サインをもらいに行った。病室に色紙などあるわけはなく、僕がさしだしたのは、コクヨの罫線付きレポート用紙。その薄っぺら い紙に、彼は快くサインしてくれた。「名前は?」彼は、僕の名前と日付を書き込んだ。入院している子供を励ますミュージシャン、というと聞こえはいいけれ ど、僕はオザキユタカが何者か知らなかった。そして、彼の音楽を聴く事もなかった。

199X.6.22

大学のサークルで、カラオケの時にオザキユカタを歌った友達がいた。テレビ画面に滲んだ「作詞・作曲 尾崎豊」の文字が、病院での記憶と結びついた。ああ、これがあの人の歌か。

それから何年も、僕は尾崎豊の曲を聴いてきた。傾倒、というのとは違う。僕は、彼のように生きたいとは思わなかったし、カッコイイとも思わなかっ た。しかし、自分が一番見捨てられていると思ったとき、自分で自分自身にさえ愛想が尽きかけたときに、心に届いたのは、彼の歌だった。他の誰でもなく、彼 の歌だけが、届いた。芸術には、もしかしたら人を助ける力があるのかもしれない。そんな風に思った。

2001.5.27

「17歳の地図」は、尾崎豊のファーストアルバムである。収録されているもののほとんどが、尾崎豊の代表曲になった。後年、本人をして、「デビュー作を超えられない」と悩ませたアルバム。

あれから、10数年。尾崎豊の歌は、今も流れ続ける。世間の評価はいろいろあるし、彼の歌に決して共感することのない人も、沢山いる。それでも、彼の歌は消えていないし、今日でもなお街角に流れ、そして誰かの心に届いている。

cocco: サングローズ

Photo: contax T2

Photo: contax T2

旅先に持っていく音楽は、自分が本当に聴きたい音楽。

その夏、南の海を見ながら、僕が聴いていたのは彼女の歌だった。その時、僕はまだカセットテープのウォークマンを使っていた。悲しい歌が多かった、でも落ち着くことが出来た。

熱に浮かされたような季節で、僕は今よりも少しだけ若く、そして、脆かった。彼女の歌の脆さが、僕を惹きつけたのだと思う。


今度の Cocco の、最後のアルバムには、光が入っている。歌は、もう悲しくない。

歌うことが、自分を癒すための何かだったとしたら、その意味での歌というのは、彼女にとっては、もういらない。そういう、ことかもしれない。

いつか、また、別の形で彼女に会えるといいなと思う。