蝋燭の炎が、見慣れた様々のものの形を、全く違う様相で浮かび上がらせ、考えたこともない色を生み出し、深い影を与える。本当は光ではなく、影が、モノに形を与えているのだと、思う。
真空管が静かに、時代遅れの CD を再生する。思い起こすことは沢山あったけれど、じきに忘れてしまう。大の男が、バーで延々とカンパリなんかを飲んだりしたら、どうかしていると思われそうだが、自分で飲む分には好きに出来る。僕は、カンパリが好きなのだ。
何かの花の香りがする。そういえば、そういう蝋燭だったか。
写真と紀行文
蝋燭の炎が、見慣れた様々のものの形を、全く違う様相で浮かび上がらせ、考えたこともない色を生み出し、深い影を与える。本当は光ではなく、影が、モノに形を与えているのだと、思う。
真空管が静かに、時代遅れの CD を再生する。思い起こすことは沢山あったけれど、じきに忘れてしまう。大の男が、バーで延々とカンパリなんかを飲んだりしたら、どうかしていると思われそうだが、自分で飲む分には好きに出来る。僕は、カンパリが好きなのだ。
何かの花の香りがする。そういえば、そういう蝋燭だったか。
例えば、音楽をやる人は、格好いいなと思う。姿が格好良い。
僕のように、文章を書いたり、写真をいじったりする人間は、そういう姿があんまり決まらない。
楽器を手に熱演するわけでも、マイクを通して観衆に訴えるわけでもない。ベッドに長座りして、ノートPCのキーボードをぱたぱた叩いているだけだ。
ライブ感なんてものも無くて、じっと書き続ける。もっとも、僕自身はスポットライトを当てられたいとか、まったく思っていないから、それはそれで快適なのだけれど。
何かを撮っている時は、ちょっとライブかもしれない。僕はけっこう真剣に撮るので、僕が撮っている姿を見る人は、「ああ、撮っているなぁ」と思うらしい。そいういう忘我が、ライブ感か。