ケーススタディー

講演の内容として「ケーススタディーを話してください」と、よく言われる。セミナーでは、ケーススタディーの受けが良いのだ。でも、そういうものにどれ程の意味が有るだろうか。世界は、ケーススタディーに現れるようなもので、支えられているのだろうか。僕は、世界を支えているのはケーススタディーに出るような最先端、ではないと思っている。

借りパクされるパルスオキシメータとか、何年もデザインの変わらない鉗子とか、多くの人が諳でオプションを使えるlsコマンドとか、そういうものが実際には世界を支ていると思う。普通の日常を支える、当たり前すぎて存在さえ認知されないモノ達が、世界を支えている。


それらは歴史には、ほとんど残らないだろう。僕も含めて、そういう歴史に残らないものが、歴史を作っている。

旅先で、

Photo: “Bridge and river.”

Photo: “Bridge and river.” 2020, tokyo, Japan, Apple iPhone XS max.

旅先で、地元の人の日常を横から眺めると、ここに生活と人生が流れている感慨がある。ずっと昔から流れていて、自分が立ち去った後も、流れ続けていく。

東京観光に来た人は、遊覧船から僕を眺める。僕が散歩している姿は、東京の水辺の風景の一部だ。そうして、そういう感慨を巡らしながら、僕と僕の周りの風景を見るのだろう。

誰でも自分が物語の主役のつもりだけれど、誰もが脇役でもある。いや、脇役ぐらいが丁度か。

ユニバーサルデザインを無視する世界を良くしたい雑誌Wired

今のWiredは一言で言えば、上流階級の憂鬱みたいなものを書いている雑誌なのだろう。衣食足りて礼節を知る。これは、明日の食事に困っている人が買う雑誌ではない。テックの業界で職に困った人が、買う雑誌でも多分無い。では、いったい誰がこれを買っているのだろうか?ふと、不思議になる。出稿されている広告を見ると、更によく分からなくなる。

でも、我慢して読んだ方が良いとも思っている。放っておくと自分が買わないのは目に見えているので、定期購読にした。今や、Web草創期の皆に平等に知識を、みたいな時代は残念ながらとっくに終わってしまって、啓蒙して世界を前に進めようというよりも、分かっている人達だけで先に行こう、みたいな事になってしまっている。だから、食べにくても、ある程度食べておかないと置いていかれてしまう。

テックが、そういう知識の分断を先鋭化している。そんな分断は、昔からあったのだろうか?Internetがその始まりだったのだろうか。幾多のSFが描いてきたディストピアが、やはり、実現してしまうのだろうか?