プラットフォーマーに握られる、Apple Music の6月2日

Apple Music
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Apple Musicには、なんとなく入っていた。音楽を良く聴く時期もあれば、あまり聴かない時期もある。だいたい通勤時間、というのがそんなに無いし、地下鉄ではまともに音楽を聴くことは難しいので、コンスタントに聴く時間というのが無い。走る時は、Audibleを聴いている。

音質は、もう今はそんなにどうでも良くなった。クラスタ分析で、Appleが薦めてくる曲を聴いても良いし、Essentialsと名の付いたAppleのキュレーターが作るアーティスト毎のリストでも良い。リストは相当に金をかけて出来ている感じで、プロフェッショナルに良く出来ている。

そんな感じで、深く考えずに結構満足して使っていたのだ。が、それも数カ月前、あの6月2日までの事だった。その日、何気なくFor youで最近のプレイ履歴を見ようとしたときに、この画面が突然表示されたのだ。このメッセージは消せないし、閉じることができない。僕はその日、For youに連なる機能へのアクセスを完全に遮断された。


プラットフォーマーに握られるというのは、こう言うことなのだ。

送り手が選択した内容を、オルタナティブ無く、端末に表示する。このコンセプトは、AppleがMacintoshの発売時に、スーパーボールの合間に流したCMの元ネタ、ジョージ・オーウェルの「1984年」に出てくるテレスクリーンと何が違うのだろう?内容の話では無い。それが正しいのか、正しくないか、それは論点ではない。そうではなくて、僕が音楽を探す権利を、プラットフォーマーの独断で、選択肢無く遮断し、ある種のメッセージを僕の端末に表示する。一体、誰がそんな権限を許した?

多分、それを許容する条件がEULAのどこかに書いてあるのだろう。Agreeのボタンを押したときに、僕がその権限を与えたのだろう。(誰があの長いEULAを読んでいるだろうか。)しかし、その画面を見たとき、僕はその便利さ、快適さと引き換えに、自分が何を取引しているのか、それを一瞬にして理解させられた。文字通り、頭から水をぶっかけられたような、そんな気分になった。


翌日、何事も無かったようにApple Musicは通常に戻った。しかし、僕の中での違和感は消えない。この違和感は、このテクノロジーがリードする社会が続いていく限り、ずっと続くのだろう、という気がする。良し悪しではない、そういう事が、いよいよ表層に出てきたな、という気分の話だ。

雅叙園の茅葺き屋根

Photo: “Tofutei”
Photo: “Tofutei” 2019. Tokyo, Japan, Apple iPhone XS max.

目黒雅叙園の中には、ひときわ目立つ茅葺き屋根の古民家みたいなものが建っている。あそこに行く度に気になってはいたが、そこは仕事の現場だからあまり追求したことは無かった。

で、ゲストのテキサス人が、そこに行きたいと言う。一昨年ぐらいに久しぶりに日本に来て、彼は、そこで日本の魅力を再発見したと言う。それから、ちょくちょく、いろんな理由を付けて日本に来るようになった。朝から登壇のために詰めている雅叙園の中で、件の建物がどうにも気になっているようだった。

さて、あの建物は確かに行ったことがない。だいたい中に入れるようなものだろうか。何、調べたって?あれはレストランなのか。

やたらテンションが上がっている180cmオーバーのテキサスレンジャーを連れて、茅葺き屋根を潜る。予約必須みたいな気配を漂わせているが、試しに入ってみると、空いていた。


微かに香の薫りがする廊下を行き、やたらに大きな部屋に通された。螺鈿細工を柱から天井から、床の間の違い棚にまで施した、実に豪奢な内装。これは凄い、と日本人の僕は思った。彼は、どう感じただろうか。

メニューはテキサスっ子にも良さそうな、すき焼き御膳的なものを選んだ。器も、盛り付けも、サービスも、こういうゲストを連れている人にとって、そうあって欲しいと思うものだった。味は外さない、結構なもので、多分初めてあらたまった感じの(それまで居酒屋ぐらいしか連れて行かなかったので)日本料理を前にして、彼が嬉しそうにしているのを見て、僕も嬉しくなった。


それから1年以上が過ぎて、当然アメリカから誰かが日本に来るという事は無くなった。彼も来日を希望していたが、そうもいかないまま、時間が過ぎた。アメリカの会社には、定年というものは無いと聞く。そんな彼も夏の終わりに引退を決めて、お別れのメールが来た。残念だな、とは思ったけれど、この業界で成功裏に引退出来るのは良いことだ。

螺鈿の燦めく部屋で撮った、彼の写真を送っておいた。せわしないランチだったが、僕にとっても良い思い出なのだ。

酒を止めてよかった7つのこと

Photo: "Karakara at flagship store of Urizun."
Photo: “Karakara at flagship store of Urizun.” 2019. Okinawa, Japan, Fujifilm X-Pro2, Fujifilm M Mount Adaptor + Carl Zeiss Biogon T*2,8/28 ZM, PROVIA filter

手術から1年、術前は当然酒を飲まなかった。そして、そのまま飲まずに今に至る。習慣が断ち切られ、そのまま続いているのだ。そして感じた、飲まないメリット、について書いてみる。

さて、まず友人であるところの、二人のソムリエには、酒を止めたりしたら即生活の脅威になるのでお勧めしない。他の、あらゆる人にも、酒を止めることは、僕からは特にお勧めはしない。それは所詮、自分で決める事だからだ。

ではメリット。

  1. 体調が劇的に良くなる
    大リーグ養成ギブスとか、修行用の亀の甲羅とか、そういうものを外したような、体調の良さは否めない。人間ドックの数値に表れる以上に、どう控えめに言っても、改善する。
     
  2. お金が減らない
    社会的な付き合いや、友達と飲みに行く、と言うことは普通にしている。ただ、二次会、三次会と店を重ねて翌日記憶ハッキリせず、財布にはカードのレシートが何枚も入っているという事は無い。以前なら、ちょっとここは高めだな、と思った店でも、酒を飲まないと全然金額がいかないことを、改めて知る。(その分、頼むようにはするが)
    行きたくも無い義務的飲み会の後、一人で気分直しにバーに行ったり、翌朝冷蔵庫にあまり見覚えの無いセブンの二郎風ラーメンが入っていたりもしない。素晴らしい。
     
  3. 下らない飲み会に参加するのが楽になる
    不味い酒、不味い料理、つまらない面子。しかし社会人たるもの、そういう飲み会にも参加せざるを得ない時がある。酔って参加した方がいいように思うのだが、意外にも、酒を飲まない方がそういうものに参加するのは楽。そういう場で、愚かな事を口走る危険性も無い。
     
  4. 二日酔いが無い
    酒を飲まないと、二日酔いが無い。皆さん、あまりご存じないことかとは思うが、酒を飲まない限りは二日酔いはしないのだ。土曜日が台無しになる罪悪感も、昼過ぎまで続くだるさも、午後になってようやく回復すると、その不快さを拭うように飲みに行きたくなる感じも、まったく無い。
     
  5. 時間が増える
    例えば、プログラムを書くとか、Premiere Proの動画編集を勉強するとか、やろうと思っていることをやる時間が出来る。これは、とても大きい。飲んでいる時間よりも、アルコールの支配下にある時間の方がだいたいは長いが、それが無くなる。羊ページの更新が増えている事は明らか。酔っていなければ、食事から帰ってきてから、文章を書くこともできてしまう。
     
  6. トイレの品質が劇的に改善する
    肝臓とかじゃないんだから、消化器官に酒はたいして関係無いだろうみたいな事を言う人が居るけれど、止めてみて分かるが、消化器官にかかる負担は半端ない模様。
     
  7. コントロールできる事が増える
    先に挙げた、時間が増えるというのが典型的な話。起きている時間の100%が、自分の意志が働いている時間になる。これは、シンプルな事だがとても重要だ。人生がコントロールできるほど、人は幸福感が大きくなる、と言うけれど、それは確かに実感される。
     

なお、デメリットは、バーのマスターが寂しげにしてる事か。誰かと行くのであれば、バーも付き合いではいくが、流石に1人では行かなくなった。馴染みの立ち飲み屋では、黙っていてもアルコールフリーのビールが出るようになった。この記事はもともと、コロナウイルス騒動の随分前にメモとして書いたが、その時から考えても、引き続きメリットは大きいと感じている。在宅勤務で酒量と体重が増える、という話を一人ならずから聞いた。

多分、ライフステージというのはあるので、20代とかで有れば、酒は飲んだ方がいろいろ広がるかもしれない。ある程度、いろんな種類の酒を飲んだり、色んな場所に行くことには、それなりの意味があるとも思う。ただ、今の自分にはもう良いかなと思うのだ。