今半

Photo: “Sashimi dish at Imahan.” 2024. Tokyo, Japan, Apple iPhone 14 Pro Max.
Photo: “Sashimi dish at Imahan.” 2024. Tokyo, Japan, Apple iPhone 14 Pro Max.

ちゃんとしたものを食べよう、そういう事で企画をして、不定期に有志3名が集う。万札を握りしめて、一度は行ってみようという名店を訪れるのだ。

人形町今半は、東京の人には割と馴染みのある店名だと思う。弁当なんかは、ちょっと景気の良いミーティングなんかでお目にかかったりする。しかし、本店の夜ともなれば、昨今は予約もずいぶん先まで埋まっている。個室のみで焼きの担当が付くわけで、そもそもキャパに限りが有るのだ。

さて、予約はどのコースにしましょうということで、刺身も付いた一番高いヤツにしよう、という事になった。正直、別に今半で刺身を食わなくても、とは思ったが、ここは後輩に従ってみようと思う。僕にも、そういう気分が湧くようになったのだ。


果たして、先付けの器も驚いたが、刺身の盛り付けも大変美しかった。海老も鮪も、そして器も昭和の時代から抜け出てきたような、朱の美しさだ。日本料理を食べる嬉しさは、こういう所にあるんだと思う。コスパとか、タイパとか、何に対してのPerformaceを求めているのか。世界にちゃんとしたものは、やっぱり必要で、ちゃんとしたものを作るのは手間と時間と、つまり金がかかる。

〆の挨拶、お願いできますか。

忘年会的色の濃厚なディナーで、僕は何のプレッシャーも無く、白身魚のカルパッチョなどを食べていた訳だが、いきなり耳元でそう言われて、ええっ、という気分になった。いや、他に居るでしょういろいろ。

「この場での役職最高位なので、、」

えー、そうなの。。


ついにそんなことになってしまったか、と思ったその時から5年半ほどの年月が過ぎた。空疎なスピーチを(なるべく短く)することにも、慣れた、いや、慣れない。形式のばかばかしさも、形式の安心感も両方分かるようにはなった。それでも、そういう茶番は他の誰かにお願いしたい。そういう気分は、何年経っても変わらないのだ。

写真美術館、残らないもの

Photo: “A Mountain of Images. / Yuki Harada” 2024. Tokyo, Japan, Apple iPhone 14 Pro Max.
Photo: “A Mountain of Images. / Yuki Harada” 2024. Tokyo, Japan, Apple iPhone 14 Pro Max.

年末の写真美術館は、程よくガラガラで、いつもながら空いている。空いている美術館ほど、良いものはないが。


今の写真家の作品を集めた展覧会「現在地のまなざし」3階の展示室を出ると、そこには紙焼きの写真の山が、「写真の山」という名前で展示されていた。産廃業者や、不要品回収業者などに、他のゴミと一緒に引き取られた古い写真は、売り物になるモノは売られ(それが、売られるのだという事に衝撃を受けた)、売り物にならないモノは捨てられる。その、捨てられる写真を集めた展示だという。

これがあと100年か、200年すると、歴史を記録した史料になり得るのかもしれない。しかし、現時点でそれは、誰にも顧みられない、無価値なアナログデータで、そして忘れ去られている。家族写真とか、旅行か何かの記念写真とか、製品のサンプルを撮ったようなものとか、そこに絡みついている日常とか人生のボリュームは重く、「手に取って良い」という展示の注意書きにも関わらず、ポジフィルムを数枚光にかざすのがせいぜいで、紙焼きを手に取る気にはとてもならなかった。


物理的なゴミとして、何に繋がることも無く朽ちていくのが良いのか、あるいは、我々が無邪気にネットに上げている、日々のイメージのように集合知たるAIの記憶の一部となり、何物かにはなり、忘れ去れることが無いのが良いのか。

※本展示については寄りで撮らなければ、掲載OKとの事。