ウニより、うにせんが好き

Photo: “都合良くウニの写真なんてない。”
Photo: “都合良くウニの写真なんてない。” 2017. Tokyo, Japan, Apple iPhone 6S.

それにしても、改めて気がついたのは、ウニの寿司はそんなに好きじゃ無い。

大昔に、ホビージャパンのコラムに書かれていた(そういう小さいコラムのようなものが昔から好きだった、なので自分でも書き始めた)、北海道かどこかのウニ丼、ご飯の上にネギか何か薬味がのってて、それにウニがのってて、みたいな数行の記事を見て、親にウニを買ってきてもらって食べたのだ。


親も別にウニ丼なんて見たことも無かったのだと思う。ご飯の上にネギ、その上にウニ、みたいな文章通りにできあがった茶碗の中のウニ丼。なんか、正直、完璧にうまかったわけじゃないけど、買ってもらった手前喜んだというのは否めなかった気がする。

でも、実はうにせんのほうが、素直においしいのだ。スーパーで買える中では一番美味いと思うヤツが、成城石井で一時期姿を消していたが、最近また買えるようになって嬉しい。

シンプルに不自由

Photo: "Night market."
Photo: “Night market.” 2019. Taipei, Taiwan, Fujifilm X-Pro2, Fujifilm M Mount Adaptor + Carl Zeiss Biogon T*2,8/28 ZM

セブンの新製品「冷やし豚中華」のレビュー。

友達が買ったという、新製品のレビューを見ていると、これは味の個人の感想なので云々、という注意書きから始まっていた。公的な味の感想、などというものがあるのか。食ったモノの感想が人の味覚に依存することを、いちいち書かないといけない時代なのか。YouTubeのレビュー動画も、しつこいぐらいそんな注釈が入る。そこに文句を付けるヤツが居るという事なのか。

ーーー無論、そういうヤツが居るのだ。


表現に対するプレッシャーは強くなっていると思う。コンテンツを公開する前に、一旦、皆で集まってリスクを洗い出す。ここはちょっと、受け取り方によってはマズイよね?そんな「予感」みたいなものを、もし2人が感じたらそれはもう、確実にマズイ。そこは修正されるか消される。事実関係とか、そういうチェックとはまた違う、何かに対するコレクトネス、そういうプレッシャー。

作り手の立場になるととても言えないことを、消費する側は簡単に言えてしまう。作り手がそれを把握して、飲み込む義務は無いのだけれど、どうしても、そうすべきと言うプレッシャーとか、社会的合意が有る。一方で、作り手を保護する仕組み、表現を守る仕組みに対する擁護は、心許ない。


台湾の納税サイトの改善にあたっての取り組みを、唐鳳(オードリー・タン)が紹介していた。意見を言うものと、作る者の間に、調停者を置いて、意見をマイルドにして伝える仕組みが導入されたという。確かに、日本のe-taxの改善提案サイトのようなものを作ったら、それは罵詈雑言とカオスになるのは目に見えている。開発運用の担当者が(多分、あのサイトがああなっているのは、開発よりももっと前の所の問題だと確信するが)、それをまともに直視できるとはとても思えない。何らかの調停者とか、モデレータが必須だろう。

あるいは、同じく台湾の公共プロジェクトのコミュニティーには、リプライを禁止して、意見しか言えないようにする仕組というのもあるそうだ。反対意見はもちろん提示出来るが、それは反論のリプライ、ではなくて、あくまで自分の立場表明になる。そういう、コミュニケーションの方法論そのものを、プラットフォームに合わせて新しくする時が来ている気がする。

ニセ味の素

Photo: “Ajinomoto 1kg at Thailand.”
Photo: “Ajinomoto 1kg at Thailand.” 2022. Thailand, Apple iPhone XS max.

タイで、偽の味の素を作って荒稼ぎした夫婦が捕まった、というニュースが流れていた。偽の味の素ビニール袋パッケージをつくって、自宅で別の何かを詰めていたのだ。

なるほど、そんな商売もあるのか。


そう素直に思ったのは、バンコクでキログラム単位で売られている味の素を見ていたから。日本で考えたら、味の素はkg単位の袋詰めでバンバン買うようなものでは無い。しかし、タイでよく見るスーパーであるところのビッグCの調味料コーナーにはひと棚まるごと1kg味の素が陳列されており、よく見れば、街中のコンビニの棚にさえ500gは入っていそうな味の素が、スプーン印の砂糖並みのカジュアルさで陳列。

アル中カラカラ氏の、味の素使い切り動画に感じた戦慄はしかし、国境を越えればまた尺度が根本的に変わってしまうのだと、そんな風に自分の中で繋がったのだった。