朝起きて、なんとなく日付を見ていたが、さっき突然気がついた。今日は羊ページの誕生日で、しかも、10回目の誕生日。10周年。
コンピュータの上、というとても不安定な場所で、10年続けることが出来たのは意外。あるいは、こういう場所だから、10年続けることができたのかもしれない。自分の興味のあることを自由に追求できる、その風穴みたいなものが、とても大事なんだと感じる。
このページを読みに来てくれた全ての人に、10年間ありがとうございました。
これからも羊ページをよろしくお願いします。
写真と紀行文
朝起きて、なんとなく日付を見ていたが、さっき突然気がついた。今日は羊ページの誕生日で、しかも、10回目の誕生日。10周年。
コンピュータの上、というとても不安定な場所で、10年続けることが出来たのは意外。あるいは、こういう場所だから、10年続けることができたのかもしれない。自分の興味のあることを自由に追求できる、その風穴みたいなものが、とても大事なんだと感じる。
このページを読みに来てくれた全ての人に、10年間ありがとうございました。
これからも羊ページをよろしくお願いします。
熱海の街を歩いて、干物屋をひやかすのは面白い。
店の作りはどれもよく似ていて、軒先には人寄せを兼ねた干し台があり、奥にこぢんまりとした入れ込みのような休憩所がつくってある。練炭を入れた七輪で、干物を炙って食べる趣向だ。
干物の他にも、蛸の塩辛や、鯑の山葵漬、若布のふりかけなんかが並んでいるが、よくよく見ると、これって箱根でも売ってたよな、というのもあったりする。もっとも、そういうのをあえて買う愉しみ、みたいなものは確かにある。
それにしても、干物というのは、色とりどり魚が盛られていて、しかも、もうあとは炙って食べるばかりという訳で、つい、あれもこれも欲しくなる。特にこの棚。梭子魚のピンと張った尻尾と、飴色の身は、とても美しくて、日本の食べ物の綺麗さに息を飲む。温泉町の土産物屋で、こんなものが買えるのだ。
結局僕は、ここでは何も買わないで出た。かまぼこか何かを、買っていたのも居たな。
真夜中の水槽には、大きなスッポンが泳いでいた。
毎夜怒鳴り合う酔っぱらいをガラス越しに眺めて、彼には昼もなく夜もない。
綺麗に飾り付けられた見栄えの良い水槽が、ただの檻であり棺桶であったとして、それを眺めている僕と彼の間に、どれほどの違いがあるだろうか。
食用、ではないんだろうな、ここはバーだし。