American breakfast

Photo: American breakfast 2004. Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.

Photo: "American breakfast" 2004. Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.

中国の食べ物はおしなべて旨かった。不味くて食えない、というものはほとんど無かった。

でも、西洋料理はいけない気がする。数を食べたわけではないし、きっと美味しい店もあるのだろうけれど、どうもまだこの国に西洋料理は合わないようだ。中華料理の奥深さ、凄さから一転して、変な(面白い)料理が出てくる。

僕はホテルの朝飯は(安いから)ずっとルームサービスをとっていた。これが、和洋中色々バリエーションがあったので、順番に試したのだが、洋食を頼むとなかなか面白かった。


初日、American breakfast というセットを頼んでみる。(肉、卵、パン、ジュース、飲み物を選んで組み合わせる)

未だ暗い早朝、部屋のチャイムが鳴って朝食がやってくる。ちゃんとクロスの引いた移動テーブルに載っていて、値段を考えるとお買い得。(現地価格で言うと、ぼったくり)去り際の「Have a nice day, sir.」という怪しい英語の挨拶は、別にマニュアル化されている訳ではなくて、何も言わずにドカドカ飯を置いていく人も居たりして、サービスの質がいまいちバラバラなのが面白い。


食べてみよう。ベーコンはまだ食えるのだが、(大量の)スクランブルエッグが完全に炒り卵だ。中国料理は生もの出さないというが、やはり刻み込まれた習慣が、このスクランブルエッグの炒り卵化なのだろうか。中華 400年の歴史はたやすく、スクランブルエッグの半生化を許さない。その背後には、ニンニク(!朝なのに)と干しプチトマトを炒めたような謎の野菜(これが毎回付いてくるのは閉口した)、冷食のポテトみたいなカタマリは油が良くなくてかなりマズイ。オムレツは作れるのか?と思って頼んでみたら、これまた、固めた炒り卵みたいなのが出てきてうんざりした。

バスケットに入ったパン、そうパンはどうなんだ。説明によれば焼きたてとのことだが、そんなことは無い。でも、クロワッサンは容赦なくバターを使っていて、これはいい。小麦粉は伝統的に使っているから(米の取れない黄土高原では小麦粉からラーメンの原型が生まれたらしい)、得意と言うことだろうか。(でも、別の日に頼んだマフィンは酷かった)付け合わせのジャムは、しまいに飽きて蜂蜜にしてみたら、これがなんと美味しい。クロワッサンに蜂蜜を付けると、それはそれは幸せな食べ物になることに、今回初めて気が付いた。ちなみに、蜂蜜はオーストラリア製。(全然中国には関係ない話だが)

最後、全然期待してなかったのだが、飲み物に選んだチョコレートミルクがいたく美味しい。カップ 3杯分ぐらい入った大きなポットで来るので、朝方の飲み物は全部これで賄える。普段、甘い飲み物はあまり飲まないのだが、まだ薄暗い朝にメールを書きながら啜っていると、結構幸せな気分になるものだ。結局、毎朝このチョコレートミルクを飲み続けた。そういえば、永井荷風も「ショコラ」を啜ることを朝の日課にしていたっけ。


注1:中国粥の朝食は(一番安くて、一番量があって)そうとう旨かった。さすが本場。付け合わせの、塩っ辛い卵の漬け物みたいなのを丸ごと浮かべて食べると、異国情緒満点。特大の丼に入ってくるので、半分も食べられないが、、。
注2:この前、Project X の再放送か何かで、東京オリンピックの選手村食堂の話をやっていた。日本にエスニック料理が根付く前の出来事、というか、まさに(日本アレンジの)洋食ではなくてネイティブな外国料理がポピュラーになる一里塚となった出来事だ。400人のコックが、世界中からやってくる選手のための食事をつくり、その技術とレシピは日本に外国料理の基礎を作った。中国も北京オリンピックでは世界中の料理を作らなくてはいけない。そういった、幾多の試練(?)を超えて、外国文化は根付くのかもしれない。

String Quartet

Photo: String Quartet 2004. Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.

Photo: "String Quartet" 2004. Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.

手の込んだ飾り付けをされたツリーは、それがどこの街に立つツリーでも、誰かに見せてあげたい、そういう種類の美しさ。それは、一人で見てもまったくもって仕方ない、ということでもあるが。


社会主義の国にもクリスマスツリーは立っている。北京のホテルで巨大なツリーに出迎えられ、もちろん僕は一人で、ちょっと複雑な気分。ツリーの向こ うでは、ラウンジの BGM 代わりに生の弦楽四重奏。特別にやってるわけでもなく、毎晩この調子だから、4人で弾いてもギャラはそんなに高くないということか。ここにも、「とりあえ ず人を配置しておけ」の法則を見る。

日本に戻ってくると、あちらこちらにツリーが立ついつもの年末の光景を目にした。ロックとマックとクリスマス。欧米的豊かさの尺度としてのクリスマス、なんてわかり易い。

旧市街

Photo: 2004. Beijing, Mainland China, Sony Cyber-shot U20, 5mm(33mm)/F2.8

Photo: 2004. Beijing, Mainland China, Sony Cyber-shot U20, 5mm(33mm)/F2.8

朝、タクシーで旧市街の方に向かう。一人後部座席から、薄曇りの天安門広場を眺めている。車道は広く、よく舗装されていて、片側 4車線以上ある。半世紀前、祖父は占領者としてこの土地を踏んだ。彼は軍人だった。そして、50年以上が流れ、僕はビジネスという立場でここに居る。歴史の流れは、こんなにも早いものか。


タクシーを降りて商店街の方に。昨夜は見えなかった細い路地を曲がる。高級レストランや土産物屋が並び、外国人の姿も見える表通りから、だんだん地元の人しか居ない、もう一つの中国が見えてきた。揚げパンを売る屋台、簡易宿泊所の待合いから外を眺めるオバチャン。僕は、上着のポケットに両手を突っ込んで、ゆっくり歩く。

中国には 56もの民族が居て、僕みたいなアジア系がうろうろしていても、そんなに目立たない。人々は、僕を気にするでも無く、気にしないでもなく、通り過ぎ、追い越していく。見たことがあるような、無いような。昭和の昔の日本の風景のようなその路地に、ふと胸に迫る懐かしさを感じた。あるいは、それはメディアで見ていた「中国」という光景に対する、極めて今日的な既視感だったのかもしれない。


土曜の朝の古びた路地には、朝食を買い求める人が多い。ピザ生地のようなパンや、ひねった揚げパンなどが売られていて、5元も出すと山のように買える。小さな定食屋も店をあけていて、だいたい 1食 3元(36円)、口開けの客が入っていく。1元ショップとでも言うのか、1元均一の雑貨屋を覗くと、埃っぽい棚に、ゴミとしか思えないような汚い人形や、 ピーラーのような安っぽい調理器具、怪しい口紅などが雑然と並べられていた。受けねらいの土産にもはばかられる、そんな品物。何も買わずに店を出て、雑踏に戻る。

目的地は無く、地図も持っていない。自分がどこにいてどこまで行くのか、それは分からなくて、もうこのぐらいにしようかと、途中で振り向いた。歩いてきた道には、普通の週末の朝の景色。ここは、欲望のカタマリのような、今まで見てきた中国からは少し離れた場所だった。

注:JAL のグランドホステスにニーハオと言われるような人間なのであまり目立たない。