思いつきの記事一覧(全 906件)

日本一醜い親への手紙

アダルト・チルドレン(AC)という単語には、いちおう定義があって、アルコール依存症の患者を抱えた家庭環境で育った人を指す。(最近は、これだ けに留まらず、機能不全の問題を抱える家庭に育った人、全般を指すようになった)ACの数は社会環境の複雑化に伴って、年々増加している。一例を挙げるな らば、現職のアメリカ大統領ビル・クリントンも、自らがACであることを公表している。

僕自身も、この定義に従うと、ACである。ACは、現代の社会では、あまり珍しいものではないが、誤解を受けることも少なくない。しかも、その苦し さを他人に理解してもらうのは、極めて難しい。そもそも、ACという概念自体、メジャーになったのはここ数年のことで、多くのAC達は、自分自身がACで あるという事実にさえ、未だ気づいていない。

ここに一冊の本がある。ずいぶん前に買った、「日本一醜い親への手紙」。ここに納められているのは、憎悪、あるいは冷たい怒りに満ちた、100通の 手紙だ。虐待や放置など、あらゆる手段で、心を切り裂かれた人たちの手紙である。手紙を書いた人びとは、年齢も、性別も、職業も様々だが、その大半はおそ らく(広義の)ACと言われる境遇にある。

ACとして生きる。それは、容易いことではない。そのあまりにも厳しい道を歩くAC達の、一瞬の叫びが、この本には書きつけられている。この本を 「くだらない」と片づけることができるならば、あなたはきっと幸せな人だ。僕はこの本を、一度として読み通した事がない。淡々とした、たった数行の表現の 中に、彼らの目に映った地獄が、ありありと見える。「生ぬるい」と言われる時代の、静かな闘いがここにはある。それは、時として、一人の味方さえ居ない、 孤独で、しかも希望の薄い闘いである。

ACには、余分に背負った荷物がある。それを下ろすには、彼ら自身の力によるしかない。しかし、それには時間がいるし、回り道も必要かも知れない。しかも中には、(かなりの割合で)負けてしまうヤツだっている。だからといって、ACに対する同情や、共感は、無駄だ。

ただ、理解を。ここに並んだ100通の手紙の作者達も、同じ事が言いたいに違いない。

「日本一醜い親への手紙」、メディアワークス、主婦の友社 1997。ISBN4-07-307247-1

心を揺さぶらない日々

心を揺さぶらないように、毎日を送る。

楽しくはないけれど、寂しくもない。ちゃんと見ない、ちゃんと聞かない、ちゃんと考えない。そして、ちゃんと感じない。心を鈍くする。平穏、確かにそうだ。

でも、その鈍さは冷たくて、少しずつ自分を傷つけ、疲れさせる。少しずつ、やわらかいところを奪い取っていく。あの頃の自分を、取り戻せなくなるんじゃないか?そんな不安を感じる。でも、振り返るのは、恐い。

昔聴いた CD を引っ張り出して、10曲目をかける。あの時、俯いて聴いた曲が、鈍く耳に響く。辛くもなく、悲しくもない、懐かしささえ、感じない。

心を揺さぶらないように、毎日を送る。

まるで、他人のために生きてるみたい。

東京から乖離する

駅に降り立つと、奇妙な乖離感。

太陽が、頭の上に向かってぐんぐん昇る。空気がじっとり熱い。体に潜り込む、饐えた臭い。どす黒く汚れ、ベタベタした歩道。壁には、引き剥がされた ポスター、墨絵のような雨だれ。歩く人びと、投げる視線とコトバ。見慣れたいつものトウキョウとは何かが違って見える。それは、アジアの一風景。この街と のなれ合いが、その朝だけ、ふっつりと消えた。そんな感覚。

いつもとは違う道を、てくてく歩いた。

通りには、沢山のチラシを貼り付けた看板。砂埃、人いきれ、なんて汚い街。路地に飛び込むと、携帯電話で何かを話す若い男と目があった。コトバは、聞き取れない。濃い緑の、ジャガーが横断歩道を走り抜ける。


やがて、高層ビル群を傍らに望む、大通りに出る。道路は、ぴしっと直角。真っ白なセンターライン。強いビル風が、背後の喧騒を吹き飛ばした。重なり合う、幾つものビルのシルエット。夏なのに高い空。そして、空に解け合う数千の窓。息を飲む透明さ。