whiteband

(やたらにやってる)whitebandのTV CMを見て感じる、あの嫌悪感はなんだろうと思う。
直観的に「なにか別のにおいがする」と思う。
公式サイトをよく見てみると、whitebandは募金ではないし、ただのメッセージ活動でもなくて、これを付けることは政治的なある種の意見表明であるらしい。つまり、無邪気に(無自覚に)つけるようなものではないし、善意だけでつけるものでもない。あのCMは、そのあたりを隠していて、でも、そこには意図のようなものが滲み見えているところがあって、僕の嫌悪はそのあたりに刺激されたようだ。
しかも、whitebandのサイトに示された政策(?)を見てみると、けっこう極端というか、あまり穏やかなものではなくて、街で見かけるあの人達が本当に皆その政策に賛同しているとはとても思えない。
ジャンルとしては僕が大学で勉強していた、南北問題とか、そのあたりの話だ。キャンペーンに参加しているNGOのリストを見ると、授業中に「死刑廃止運動にご協力を」とか言って署名用紙をまわしていたあの団体だな、とか、北方四島の領土問題で賛否両論いろいろ巻き起こす活動をしているあの団体だなとか、ちょっと分かる自分がイヤだ。(昔から、個人的にはそういう活動ってあんまり好きじゃないというか、距離を置きたい感じ)
で、政策の是非はともかく、そんな結構センシティブな内容なのに、ソフトなファッションとして展開してしまう。それは新しい手法で、なかなか上手いことを考えるものだと感心はするが、まずイメージありきという入り方が、やっぱり危ないなぁと思うのだ。
※whitebandについて簡単に知りたい人は、wikipediaのホワイトバンドプロジェクトの項目でも見てみるといいかも。

New Orleans

会社に入ったばかりで、初めて海外出張した場所、ニューオリンズ。
温暖な気候と、Big easyと言われるおおらかな気質。ホテルの部屋で仕事をしていると、それはそれは陽気なハウスキーパー二人組がやってきて、
「swampは行ったか?」
とか、
「モールで何か買ったか?」
とか、
「プールはどうだ?」
とか、
「しまいには、ご両親はどうした?」
とか。
いやいや、確かにアジア系は年少に見えるけど。
電気の消えた暗闇の街を、ショットガンで武装した警官が緊張の面持ちで歩いていく。ハリケーンは南部のあののんびりした空気も壊してしまったのか。
あるいは、外の人間にはとても分からない緊張が、あの土地にはやはり潜在していたのか。

カメラのはじめ

venice06.jpg
思えば、写真が趣味になったのには、2つの理由があった。インターネットが登場したことと、CONTAX T2に出会ったことだ。
初めての海外旅行にもっていくためになにげなく買った、T2。その当時、レンジファインダーと一眼レフの区別も付いていなかったのだが、出来上がってきた写真を見た時には本当に驚いた。この絵は凄いな、と。
特に、ベネツィアで撮った何枚かの写真は、まともなカメラで写真を撮るのはせいぜいフィルム5本目程度の自分が撮ったとは思えないものだった。もちろん、背景にはベネツィアという都市の力があるのだが、それにしても、こんなものができてくるという驚きが写真の魅力に「はまらせた」のだ。
今から考えてみれば、水の風景というのはZeissのレンズにとっては、ある種独壇場で、なんの期待もてらいもなく切ったシャッターは、2度と撮れないほど無心ではあったのだと思う。今でも、その写真はとても大事だ。
もう一方のインターネットがなければ、これほど写真を撮ることは確かに無かったとも思う。文章と写真を組み合わせるということを、1997年ぐらいからやってきたのだが、あまり物理的なものとしての写真に囚われたくない自分としては、それをネットの上だけで展開するというのは魅力的であった。事実、フィルムスキャナとデジカメを本格的に使うようになってから、撮影枚数は劇的に増えたにもかかわらず、プリンタを使った数枚のお試し印刷をのぞき、僕は1枚たりとも紙焼きをしていない。