シン・レッド・ライン

Photo: “Leaf veins.”

Photo: “Leaf veins.” 2001, Kanagawa, Nikon F100, 35-105mm F3.5-4.5D, Fuji-Film Trebi

シン・レッド・ラインは、なんとなく何年も見る気にならなかった。だが、見始めて、最初の3分でこれは自分が生涯好きになる映画の5本に入るんだろうと分かった。

本当に、良いと思う映画には、筋らしいものは無い事が多い。いや、やがて筋は気にならなくなると言うべきだろうか。

一カット、一カットが素晴らしい。
描かれる人生が無常なのも、素晴らしい。
たった1カットの、泥の中でもがいて死んでゆく小鳥の姿が、絶対に忘れられないカットになる、そしてそれが、通底するテーマになる。恐ろしい映画。


良い映画は旅をしている気分になる。

これは戦争映画だけれど、戦争を描いているわけではないのだろう。中間管理職の映画みたいにも観られる。人生の潮目みたいなものの映画にも観られる。

見るタイミングで、いろいろ違う見方ができる底知れない深さがあることは分かる。役者がギャラに関係なくテレンス・マリック監督の映画に出たがるというのも、分かる気がした。

Asian documentaries “My Name Is Salt (2013)”

My name is Salt.

My name is Salt.

レールでゆっくりカメラを動かすクローズアップ。似たような、うんざりするカメラワーク。それを繋いでいく。なんでそんな事をするのか、被写体が退屈すぎて、そうしないと間が持たないからだ。「ここはレールで動かしましょうかね」そんな会話をディレクターとするのは、たいてい、被写体の間を持たせるために過ぎない。

「Save the catの法則」 を読むと、脚本家が守らなければならないストーリーテリングの黄金律とベストプラクティスがこれでもかと提示されている。そして、そういう目でコンテンツをみると、いかにそれがきちんと守られているかが分かる。面白いけど、心に残らない、そういうコンテンツは、きっとそのルールを厳粛に守っている。だから、商業的に面白いという一線を外さないのだ。たとえ、総体としては無価値なものだとしても。


全てに配慮し、なにも描きたくない、そんなユニバーサルなコンテンツ。これほどのカタログがあって、何も観たいものがない。新着を見てみる。「ミッドナイトアジア東京」、薄っぺらい。撮る前にしっかり出来上がったストーリーボードに、ステレオタイプなアジアントウキョーBロールを埋め込んだ、「ドキュメンタリー」は見るに堪えない。ガイジンにツアーするための、トウキョーだろ、これは。多様性というのは、カッコヨサの切り貼りの事では無い。不愉快と不協和音の許容だ。アジアの夜というのは、ポスプロで色をおもいっきりビビッドに振る事なのか?つまり、またまたまた(半年ぶり何度目か忘れた)Netflixをキャンセルしたという話。攻殻機動隊の新シーズンが来たら呼んでくれ。


Asian documentariesに登録してみた。「街角の盗電師」に興味が有ったからだ。火花の散ってる電線を糸鋸で切ってる。のっけから、ビジュアルが凄い、頭の中ではとても考えつかない画。月の初めの1日から月末までのサブスク単位になってるので、もう月の後半だしもうちょっと待つ?とも思ったけど、そんなセコイ考えを振り切って見て良かった。

「私の名は、塩」も凄かった。カットに力が有りすぎるし、予備知識なしに見ると、更に良いと思う。(だから内容は書かない)解説には、”この映画は、資本家に搾取される貧しい労働者の社会問題を追及するためのものではなく、人間の営みを観察し、私たちの生きている世界や、私たち自身の生きざまについて、まるで映し鏡のように、私たちに問いかけてくるものなのです。”とある。ドキュメンタリーというのは、ニュートラルであって欲しい。ニュートラル?なんてものはもちろん実際には存在しないのだけれど、目線にどれだけの誠実さとか、真摯さとか、そういうものがあるのかは大事だと思う。


ところで、この動画配信サービスには、もちろん専用アプリは無い。ブラウザでご覧下さいという事で、Apple TVへのAirPlayで見ているのが、地味に不便。Apple TVはブラウザをサポートして欲しい。(そういうのは無理があるのはよく分かるが)tvOSBrowserってのをXcodeでbuildして入れてみたが、動画内のコントロールが押せない。自動再生ならいけるのでcodecは動くみたいだが、残念。あ、テレビは内蔵ブラウザあるか?最近のRegzaには、無いそうです。地味に毎回の操作が苦痛な(画質やフレームレートは問題無い)AirPlayで見るのが今のところは最善手。

晩春、麦秋、東京物語

Photo: "Daydream."

Photo: “Daydream.” 2017. Tokyo, Japan, Fujifilm X-Pro2, Fujifilm M Mount Adaptor + Carl Zeiss Biogon T*2,8/28 ZM, ACROS+Ye filter

Amazon Prime Videoが、いったいどういう気まぐれか、小津安二郎のラインナップを充実させている。「晩春」、「麦秋」、「東京物語」、「秋刀魚の味」、あたりが揃っている。そのことに気がついて、この正月休みに一気に観ようと言う事で、今日は「晩春」から。

1949年、つまり終戦から4年後の作品だ。そういう目で見ていると、本当か、という気がする。日本はたったの4年で、ここまで復興していたのか。あるいは、焦土と化した形容されたあの時代に、こんなに日本が残っていたのか。もちろん、映画だから小津が描きたい部分をフレーミングしているというのは、そうだろう。ただ、年代で考えて見ると、ちょっと今までのイメージとは違う。闇市とか、そういうので語られる日本の戦後の混乱期というイメージは、それもまた局所的なフレーミングに過ぎないことに気付かされる。当時の人の、それぞれにとっての、戦後の像というものが当然そこにはあるのだ。


「晩春」の筋立てやキャストは、まぁ、だいたい、いつものやつ。豆腐屋がつくった豆腐の安心感。この映画が発表された当時でさえ、「新しい風、そんなものどこ吹く風(笑い)」(注1)という評を受けている。(これは肯定的な方の評だが)

この映画はしかし、同時期に撮られた他の幾多の映画は廃れてしまったけれど、豆腐は残った。当時、復興期に映画を撮っていた若い世代の監督達には、なんとも歯がゆく映る映画だっただろう。しかし、残ったのはこちらなのだ。

一方で、生涯独身だった小津が、なぜ娘の嫁入りというテーマを何度も描き続けたのだろう?とシンプルに疑問に思う。それにしても、監督が得意なテーマをずっと描くというのは、観ている側にとっては幸せなことだ。押井守がパトレイバーや攻殻機動隊をずっと撮っていてくれたら、どんなに良かっただろうか。でも、たいていは、そういう風にはいかないものだが。

注1:『小津安二郎 晩秋の味』、尾形敏朗、河出書房新社 2021、p75 深作欣二(深作欣二・山根貞男『映画監督深作欣二』ワイズ出版)