それでも

久しぶりの実家の風呂には、庭で取れた柚の実が、沢山浮いていた。湯船につかりながら、湯気に煙る薄暗い照明を眺める。

この一年あまりの時間は、僕にとってとてもつらい時間だった。ちゃんと何かを書くことも、できなかったし、意味のある何かを語ることも無かった。


いままでの人生の中で、僕に降りかかってきた、酷い物事の大半は、どちらかと言えば避けようのない運命のようなもので、それを耐えることには慣れていた。けれど、自分で選び取ったことと、それに対するいろいろな苦しさに立ち向かうことは、あるいは僕にとって初めてのことだったのかも知れない。

暗い夜は長く、探す物は未だ見つからない。途方に暮れている、といってもいいと思う。それでも人は、生きて行かなくてはならないし、そうした惨めな思いを恥じることはないのだろう。

この一年、あまり書かなかった。
それでも読みに来てくれて、ありがとう。

ame

 Photo: ame 2007. Ricoh GR DIGITAL, GR LENS F2.4/28.

Photo: "ame" 2007. Ricoh GR DIGITAL, GR LENS F2.4/28.

夜、一人歩いて、怒りがこみ上げてくる。

そうして、とても悲しい気持ちになる。

夏の終わりと蝉の死骸

Photo: 蝉 2007. Ricoh GR DIGITAL, GR LENS F2.4/28.

Photo: “蝉” 2007. Ricoh GR DIGITAL, GR LENS F2.4/28.

朝。

ゴミを出しに外に出ると、蝉が飛んできて、そうして、ギャッと地面に落ちて死んだ。

やれやれ、朝から蝉が死んだ。


何日かして、動かなくなった蝉を抱き起こすように、鮮やかな緑色のカナブンがひっついていた。ダイジョウブ?と寄り添っているようにも見えたし、じっと死を待っているようにも見えた。お前も、そこで死ぬのか?

でも、気がつくと、カナブンはいなくなっていた。蝉だけがずっと転がっていた。


台風が来て、酷い風が吹いて、蝉の体はどこかに行ってしまった。と、思ったら、玄関のドアの横に吹き寄せられていた。困る。

そのままにしておくのは忍びなく、でも、葬るにふさわしい場所もなく、その体を燃えるゴミに出してしまう。都会のど真ん中で死んでしまった蝉。それはそれで、相応しいんじゃないか。蝉も、それで良いと言っているような気がした。