都会で育つこと

Photo: molt 2008. Tokyo, Ricoh GR DIGITAL, GR LENS F2.4/28.

Photo: "molt" 2008. Tokyo, Ricoh GR DIGITAL, GR LENS F2.4/28.

「僕はここで育ったんです。で、縁あってこのお店に勤めることになりまして。」

帰り道から少しだけ外れたところにあるバーは、かなり急な階段を 3階分登らなくてはならない。ここが危うくて登れないようであれば、もう既に十分飲み過ぎなのだから、帰った方が良いのだ。


難しいカクテルは出来ない。いろんなモルトが有るわけでもない。でも、歩いて帰れるし、なにより天井が高い。バーテンダーは、多分僕より少し若くて、控えめな優しそうなヤツだ。

「あの安い八百屋知ってます?」
という話になる。

「凄い安いですね。でも、なんかこの前、」
そうそう、ドリアンを置いてたよね。誰が買うんだよあれ。

こんな都心で生まれて育つって、どんな気持ちがするの?

「寂しいですよ。小学校なんて、地元で通ってくる生徒は、全部で 100人ぐらいしか居ないんです。」


昔、社会の授業で習った「ドーナツ化現象」というのは、つまりはこういうことなのだ。長くて危なっかしい階段を下りて、外に出ると雨は上がっていた。バーテンダーは外まで降りて、見送ってくれた。

ご飯を踏む

Photo: crossing 2009. Tokyo, Japan, Ricoh GR DIGITAL III, GR LENS F1.9/28.

Photo: "crossing" 2009. Tokyo, Japan, Ricoh GR DIGITAL III, GR LENS F1.9/28.

今日は朝から電車の中で、ご飯を踏んだ。

何故、飯が。


そう言えば、ちょっと前に交差点で信号待ちをしていたら、道ばたに、ご飯が置いてあった。

チェーンの弁当屋で単品で売っている、白ご飯。

誰の飯だ。

なんだか不思議なことが多い。

御巣鷹山

Photo: grave marker 2009. Gunma pref., Japan, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA), cRAW

Photo: "grave marker" 2009. Gunma pref., Japan, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA), cRAW

御巣鷹山 は通称だ。正式には、そこは、高天原山と言う。


JAL123 便が墜落した高天原山には、現在、中腹まで自動車道路が整備されていて、ギリギリまで車で来ることができる。

駐車場から直ぐに山道になる。山は急斜面で、墜落当時麓から徒歩で現場にたどり着くのは相当な困難があったと思われる。四半世紀が過ぎた今、かなり きちんと道が付けられている状態でも、登りやすいとは言えない。僕が登った初秋の季節でさえ、頂上に着く頃には汗だくになっていた。真夏、そこにたどり着 くのは並みのことでは無かっただろう。

山は所々紅葉し、静かな秋を迎えていた。太陽が差し込み、穏やかな山である。山頂に着くまでは、間伐のされていない少し荒れたぐらいの印象しかな い。墜落の傷跡は、見られない。しかし、ここは心楽しく山を登るという場所では、あり得ない。その場所を覆う重い悲劇の総量が、予想外にも僕を押し潰して いる。


頂上に近づくと、周囲に高い木が無くなり、斜面がむき出しになった一帯が現れる。まるで工事途中の高速道路の切り通し斜面のような、そこが墜落現場 だ。斜面には墜落時の座席番号を記した標識が一定間隔で立てられている。アルファベットと数字の組み合わせが、斜面に意味を打ち込んでいる。それでも、空 から、この地面に叩きつけられるという事故の有り様そのものが信じ難く、実際に斜面に立ってみるとまったく想像が困難な事象であった。

山頂に向かって歩いて行くと、崩れた斜面には未だ焼けただれた部分が少し残っていた。慰霊碑には花が手向けられ、線香の匂いがあたりに漂っている。 天気は良く、周囲の山を見渡すことができる頂上は、それでも、僕がいままで登ったどの山とも違っていた。山頂を支配する気配と圧力は、僕からシャッターを 切る気持ちを完全に奪った。

123便が墜落した日、丁度夏休みだった僕は、テレビでずっとあの事故の報道を見ていた。山頂からうっすらと昇る煙の映像を、なんとなく覚えてい る。しかし、この現場に立った時に、僕は何一つ、あの事故の衝撃を理解していなかったのだと知った。僕たちが登る時も、頂上に居たときも、降りるときも、 遺族と思われる人々とすれ違う。犠牲になった人と、それに連なる無数の人々の運命を、その一瞬が永遠に変えてしまった。その遙かな連なりを垣間見た気がし た。


少し頂上に居て、それから下山するのは、あっという間だった。登ってくる人の列と、3度ほどすれ違った。鳥の声が聞こえてきたとき、体の温度が戻ってきた気がした。