食卓塩の瓶

Photo: table salt 2010. Kamakura, Japan, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA), cRAW

Photo: "table salt" 2010. Kamakura, Japan, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA), cRAW

食卓塩の瓶は、マスプロダクトのデザインとして完成されている。合理的で、効果的で、無駄がない。

例えば、ゲランド海塩の小さいサイズ(それでも食卓塩の倍はあるが)の紙とプラスチックでできたボトルは、あまり合理的とは言えない。簡単にこけるし、スライド式の開け口はいつも半開きになって、しょっちゅう湿気っている。

その食卓塩の瓶を、緩やかに捻る、ということを誰が考えついただろう。横に写っている味の素の瓶しかり。


僕は、既に完成されたデザインを、テコのように使って、別のものをつくってしまうことが、何かちょっとずるいなと思ってしまうし、どうしても否定的な目で見てしまうのだが、これは素直にやられた感じがする。

誰もが知っている記号がちょっとずれている感じ。キャンベルのスープ缶よりも、日本人にはこっちの方が馴染みがあるということもあると思う。

蝋燭

Photo: 影 2009. Tokyo, Japan, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA), cRAW

Photo: "影" 2009. Tokyo, Japan, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA), cRAW

蝋燭の炎が、見慣れた様々のものの形を、全く違う様相で浮かび上がらせ、考えたこともない色を生み出し、深い影を与える。本当は光ではなく、影が、モノに形を与えているのだと、思う。


真空管が静かに、時代遅れの CD を再生する。思い起こすことは沢山あったけれど、じきに忘れてしまう。大の男が、バーで延々とカンパリなんかを飲んだりしたら、どうかしていると思われそうだが、自分で飲む分には好きに出来る。僕は、カンパリが好きなのだ。

何かの花の香りがする。そういえば、そういう蝋燭だったか。

pay foward

Photo: 白群 2009. Kamakura, Japan, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA), cRAW

Photo: "白群" 2009. Kamakura, Japan, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA), cRAW

自分が知らないうちに、誰かにとって、とても良いタイミングで何かを成していることがある。

自分を前に進めてくれた、その人に借りを返すことはできなくても、恩を報いることはできなくても、別の誰かに、自分がなにかをしてあげる。意識的にであれ、無意識にであれ。


数年ぶりに、このページを開いたら、丁度自分が読みたかった言葉が書いてあった。そんな感想を以前もらったことがある。このページも、何かの pay foward になればいい。