天丼

Photo: “Gochiso Tendon.”
Photo: “Gochiso Tendon.” 2025. Tokyo, Japan, Apple iPhone 14 Pro Max.

いつもと少し違う駅で降りて、立ち喰いそば屋のあたりを歩くと、天ぷらと出汁の香りがしてくる。

子供の頃に食べた、出前の店屋物の匂いだ。甘辛い天丼のタレと、薄っぺらく切られた、酸化したぬか漬けの不思議な味。でも、その時、腹は空いていなかった。

翌日、無性に天丼が食べたくなって、ゆでたろうで持ち帰った。美味かったけど、ちょっと違う。


天丼てどこで食べられるんだ。そう言えば、「てんや」があったなと思い立って、隣町の商店街に行く。

この3年、オフィスからの帰りはタクシーでまっすぐ帰宅するのが精一杯だった。街をそぞろ歩こうなんて、思いつきもしなかった。それを今は、雑踏を眺めながら歩く。新しい店がいくつかできている。油そばの店に行列が出来ている。

てんやでのメニューは「季節のご馳走天丼」にした。初回でいきなり特上、みたいなメニューにするのはいささか気が引けたが、せっかくですから、というやつだ。鱧も、大エビも、穴子も入っている。タレは多めにする。味噌汁と、大根の漬物。てんやで食べるのは、多分初めてだった。店はこの街に住んでいた時から知っていた。店舗は古かったが、掃除は行き届いているようだったし、店員は洗い物を乾燥ラックにきちんとそろえていた。

天丼は、最初から最後まで美味に感じた。クーポンで付けた烏賊も良かった。人間が戻ってきたような気がした。
この数年を思うと、どこか違う場所から帰ってきたようだった。

恒例(10年ごと)サイトの見直し

Photo: "Chair Refusing to Seat Anyone."
Photo: “Chair Refusing to Seat Anyone.” 2025. Tokyo, Japan, Fujifilm X-Pro2, Fujifilm M Mount Adaptor + Carl Zeiss Biogon T*2,8/28 ZM

何年かに一度、まぁだいたい10年に一度、サイトを見直したくなるタイミングがあって、それが今年、2025年だった。

1996年、羊ページの最初は、HTML手打ちで始まった。とほほのWWW入門などを見ながら(このサイトは現在も運用されている、凄い)、タグの使い方を調べた。作成途中のコーナーには、もちろん「工事中」と表示した。

やがて、Googleが全文検索で覇権をとって、キーワードでタグが調べられるようになった。CSSが本格的に実装されて、羊ページも2002年に対応。しかしCSSを人力で調整するのは、本当に無理。Movable Typeで別サイトをつくってみたりして、結果、2010年、WordPressに移行することになった。

2025年、初期から残っていた月次ベースの構造をついにやめる。ひたすら(無意味に)守ってきた後位互換性は捨て、一番新しい技術を使えるテーマを選んだ。そして今回のコードは、ほぼChatGPTが書いた。CSSの調整は95%、コード追加は100% AIが書いている。

30年の間に、個人のサイトを調べてタグを打つから、AIでコード生成まで来た。


ChatGPTは、sheeppage.netのサイトを実際に読むように指示して、ここを直してくれ、という事ができる。実際、やってみるまでは疑っていたが、本当に出来る。4oが読んでいるサイトの数は、どの人類よりも多いわけで、実に適切に直す。おかげで、実質2日ぐらいでデザインも構造も全部直す事ができた。

どんな問いかけにも無理矢理答えようとして袋小路に入ることはあるが、Webサイトの相談について言えば相当得意な分野と思われる。自称「Webコンサル業務」みたいなところが、遠くで滅んでいる音が聞こえた。しかし、こういう事ができるなら、サイトのデータそのものをモデルに取り込んでみたい。


30年に及ぶ1,600超のテキストをLLMにたたき込むとどんな事が起こるのか。で、やってみた。Wordpressからのテキストデータ抽出は、4oにシェルスクリプトを書いてもらった。2.4GBのテキストデータをGemini Notebook LLMに入れて、いろいろやってみる。しかし、2.4GBでは未だデータ量が少ないのか、「モデル」というには不足で「Index」ぐらいの感じか。

作者の振りをして書いてみて、というプロンプトには、相当に(本人としては)気持ちの悪い、セルフパロディみたいなエッセイが生成される。もちろん。この不自然さは急速に解消されていくだろう。数行のプロンプトで、読むに耐える文章が生まれるところまで、2025年上半期で到達したのだ。

何かがズレれて

Photo: "Early Summer Pond with Water Striders."
Photo: “Early Summer Pond with Water Striders.” 2025. Tokyo, Japan, Fujifilm X-Pro2, Fujifilm M Mount Adaptor + Carl Zeiss Biogon T*2,8/28 ZM

英会話から帰ってきて、ステーキを焼いて食べた。オージービーフのグラスフェッドは、焼いた後もフライパンに脂が残らない。実に淡泊で、今の自分には好ましい気がした。うまいか、と言われれば、USプレミアムなんかより、うまみはないのだが。楽に食べられるというところでは、そうなのだ。一昨年沖縄で買った、そして幾分湿気てしまった、ミックス・スパイスを振りながら食べる。

そうして、午後は国立近代美術館に行こうかと調べるが、混雑しているというGoogle Mapの表示が気持ちをなえさせる。それでも、自分を奮い立たせて準備する。でも、洗面所のドアの角に足の小指をぶつけて、一気にやる気が失せた。というか、これはあんまり良くない方向性、何かがズレている。無理に進むのは良くない、と思い直して美術館を諦め、すぐに昼寝に変えた。撤退、リトリート。

何度か目が覚め、そのたびに日は傾き、午後7時を過ぎたぐらいに起き上がる気になった。起き抜けのベットから、iPhoneが床に転げ落ち、ガタリと音を立てた。寝室の床に落ちたぐらいでは、別にどうということはない。無理に出かけていたら、もっとろくでもない目に遭っていた、そんな気がした。

まだズレている。もう少ししたら元に戻るだろう。


何もしなかった今日の締めくくりに、FujifilmのX-Pro2を引っ張り出してきて、調子を見る。暫く使っていないが、コンディションは全然OKだ。バッテリーは買い直してあるし、設定も見直して、ファームウェアも上げてある。準備は出来ているから、もう一度慣れて、手に馴染ませるだけの話だ。ある程度、見た目がカメラカメラしていた方が、かえって撮りやすいのではないかと、この前の市場の廊下で思った。それは、確かにそうなのだ。カメラマン然とした様式美のようなものが、写真を撮るという行為を周りに許容させる。そういうものだ。

ペーパードリップで入れたコーヒーを飲んで、夜の闇に光る橋を見つめる。コーヒーの良し悪しは、僕には分からない。美味い基準というのが分かっていない。だから、別に美味いとも不味いとも思わずに飲んでいる。だから買い置きの粉は、あまり量が減らない。いつ開けたかも定かで無い粉を、琺瑯の入れ物からついで、ドリップしている。多分、量は多くて濃い目なんだと思うが、全然減らないので、惜しくは無い。

タワマンに住むと、窓の景色は見慣れてしまって、やがて見なくなるとも言う。そんな気はする。内見で幾つかの物件を回ったときに、建ったばかりのタワーマンションも試しに見てみた。エレベーターホールは、デパートかオフィスビルのそれで、自分がこんな所に毎日帰宅するという想像がつかなかった。

その部屋から見る景色は、まぁ、眺めとしては良いのだろうけれど、地上から全てが遠すぎて、逆に見るべきものが無いように思えた。ビルトインの食洗機は魅力的だったが、まったく入居する気が無いことは、すぐに不動産屋にも伝わったのだと思う。部屋に来るまでの彼の熱心なセールストークは、止んでいた。


今住んでいる、この部屋から見る景色はずっと観ていられる。もっと、ずっと地上に近い。目の前を流れる川は、一時として同じ事は無く、違う流れが永遠に続く。ここにずっと住むことは無いにしても、もう暫くはこの眺めを楽しみたい。実際、この眺めにはいろいろ救われる所がある。対岸まで、まったく人目が無いのもいい。都心の空白地帯みたいなものだ。