写真美術館、残らないもの

Photo: “A Mountain of Images. / Yuki Harada” 2024.

Photo: “A Mountain of Images. / Yuki Harada” 2024. Tokyo, Japan, Apple iPhone 14 Pro Max.

年末の写真美術館は、程よくガラガラで、いつもながら空いている。空いている美術館ほど、良いものはないが。


今の写真家の作品を集めた展覧会「現在地のまなざし」3階の展示室を出ると、そこには紙焼きの写真の山が、「写真の山」という名前で展示されていた。産廃業者や、不要品回収業者などに、他のゴミと一緒に引き取られた古い写真は、売り物になるモノは売られ(それが、売られるのだという事に衝撃を受けた)、売り物にならないモノは捨てられる。その、捨てられる写真を集めた展示だという。

これがあと100年か、200年すると、歴史を記録した史料になり得るのかもしれない。しかし、現時点でそれは、誰にも顧みられない、無価値なアナログデータで、そして忘れ去られている。家族写真とか、旅行か何かの記念写真とか、製品のサンプルを撮ったようなものとか、そこに絡みついている日常とか人生のボリュームは重く、「手に取って良い」という展示の注意書きにも関わらず、ポジフィルムを数枚光にかざすのがせいぜいで、紙焼きを手に取る気にはとてもならなかった。


物理的なゴミとして、何に繋がることも無く朽ちていくのが良いのか、あるいは、我々が無邪気にネットに上げている、日々のイメージのように集合知たるAIの記憶の一部となり、何物かにはなり、忘れ去れることが無いのが良いのか。

※本展示については寄りで撮らなければ、掲載OKとの事。

1997年、MIDIデータの接続

Photo: “LIFE-fluid, invisible, inaudible…”

Photo: “LIFE-fluid, invisible, inaudible…” 2024. Tokyo, Japan, Apple iPhone 14 Pro Max.

東京都現代美術館で開催の坂本龍一の展覧会に、誘われて行ってみた。年寄りしか来てないんじゃ無いか、そんな予想はあっさり裏切られて、20代を中心に若い世代がマジョリティ。皆、坂本龍一を聞いていたのか?

ツアーの感想をMailing Listに投稿して、返事をもらったことを、かなり鮮明に覚えている。1997年の話だ、それから、なんだか左寄りにどんどんなっていって(元々、そうだった、という話はあるが)、ピアノソロのツアーを回っていたりして、というのを、遠く片目で見つつ、あまり聴かなくなった。

いや、Little Buddhaの日本版サントラに入っているAcceptanceだけは、自分のプレイリストに常に入っていた。川辺を走りながら聴く、終末の独りの静謐のような、その曲は自分の気分にとてもよく合った。


展示はインスタレーションで、音がテーマだから1つ1つ見るのに、時系列というか一定の時間が必要で、霧の展示にたどり着くまで2時間近くかかった。会場全体を通して、意地でも戦メリが流れていないのは、それはそれで良かった。そういう展示会じゃ有りません、というキュレーションなのだろう。The Sheltering Skyがフロアを超えて、響いていた。

会場の出口手前の人だかりで足が止まる。YAMAHAのMIDIピアノが鳴っている。ホログラムのような、ハーフミラーにボンヤリと人影が映り、手の動きに合わせて鍵盤が沈み込む。展示は、坂本龍一×岩井俊雄《Music Plays Images X Images Play Music》

ここだけ、空気感が違っている。奇妙な、葬式のようなと僕は感じた。1997年の彼の演奏データが再演されている。録音とは違う、四半世紀前のMIDIデータが、2024年に実際のピアノをライブとして奏でている。

アーティストとは?パフォーマンスとは?データとは?そういうインスタレーションなのかもしれないが、会場に浮かんでいたのは、もっと生々しいというか、思いがけずファンだったアーティストの遺影に触れてしまったような戸惑いと、感情の揺さぶりと、そんなものだった気がする。


帰り道に、偶然立ち寄ったおでん屋は美味しかった。餃子まき、というものを初めて食べた。

湯気の向こう

結局、コーヒーは飲めるようにはなったが、それほど好んで飲むというというものでもない。ただ、冬の寒い空気の中では、一番相応しいような気もして、今のような季節になると家で飲んだりする。

湯気の向こうに、夜の橋の上を行き来する車のヘッドライトが流れる。バカみたいな家賃だと思いながら、この部屋にもう何年か住んでいる。不動産屋に案内されてリビングまで来た途端、そこから川の対岸まで見通せる景色が気に入った。その時は気がつかなかったが、ベランダから見る冬の夜の景色は、なかなか良いものだった。とは言え、ここにずっと住む気にはなれない。

今の仕事をしている間だけ、そう思いながら年月がたってしまった。都心の大抵の場所には直ぐに行けるし、週末はとても静かだ。早朝には、裕福そうなパワーカップルが、川辺をジョギングしている。人生のある期間、背伸びをして、世間の期待に応えながら、なんとかやっているような期間、過ごすのには良いのかもしれない。


コーヒーが冷め切らないうちに、飲みきってしまう。夜景を眺めると、何も成し遂げていないのに、何かを成し遂げたような気になるこの現象には、何か名前が付いているのだろうか?川面を渡ってくる冷気が、体の芯に到達する前に、部屋に引っ込むことにする。しかし、いつまで続けるつもりなんだ。自分に問うたところで、答えは分からないのだが。