徳川最後の将軍、の弟と日記

Photo: “Closed unknown shops.”
Photo: “Closed unknown shops.” 2025. Chiba, Japan, Apple iPhone 14 Pro Max.

千葉県立美術館に隣接するポートパーク、夏場は凄い人出で、近づく気にならなかった。今は、人もまばら。アーティストトークの時間まで、暇を潰す。

丘の頂上のベンチも誰も居らず、背にかかる風は冷たく、ずっと文章を書いていられる気分では無い。家族連れの歓声が遙か遠くに聞こえていて、部活の練習だろうかジョギングの列が近くを通る。


選ばなかった未来は分からない、だから考えないにしても、徳川慶喜の弟昭武の日記には、全くもって今日起こった出来事しか書いていないという。そこには心情も、感想も、過去の回想も、未来の予想も無い。幕府の名代としてヨーロッパに滞在した徳川昭武は、日記と沢山の写真を残している。

撮影した写真の露出まで記録している彼は、しかし、徳川幕府が滅びたその時のことも、日記では特に触れていないという。逆に、日本人として、初めてココアを飲んだ記録が昭武の日記には残っている。実は、そんな記述にも、結構な価値があるのだと思う。

徳川幕府が滅びた後も、華族として不自由の無い生活を送っていたようではあるが、その胸中はどのようなものだったか。それは、一切残っていないのだと。


人生の残りはあと一万数千日。自由に出かけられるのは、数千日が良いところだろう。その目の前の一日をどう過ごすのか。自分の思い通りに、いつになった日々を送れるようになるのか。送れていた時期もあった気がする、いつのまにかどうにも出来なくなっていた。

華族として身分は保証されていた昭武も、実際には日記一つ自由では無かった。記録魔なのであれば、自分の心情を書き残したかったのでは無いか。あるいは、私小説のような概念は、当時無かったのかもしれない。生まれたときから将軍家の公人であり、「私」として何かを残す自由も、発想も無かったか。


高校生達が戻ってきた、ずっと同じ所を周回しているのか。日記は今しか書けない、昨日のことは書けない、明日のこともかけない。しかも、自分の今の気持ちを書けるようにしておくには、心のバッファが必要だ。

鳥がうるさいくらいに鳴いている。別に楽園では無いのだろう、縄張り争いだろうか。木々は紅葉が始まっている。あと何回、紅葉を見るのか。背に当たる風がいい加減冷たい。少し先まで歩いて海でも見るか。

今日の展覧会:オランダ×千葉 撮る、物語るーサラ・ファン・ライ&ダヴィット・ファン・デル・レーウ×清水裕貴

狩野尚信 山水図屏風

Photo: “Saru Machi Cafe.”
Photo: “Saru Machi Cafe.” 2025. Tokyo, Japan, Apple iPhone 14 Pro Max.

荏原 畠山美術館。入り口から建物を周りを囲む庭は立派で、そこまでなら無料。こんな場所に、こんな立派な私営の美術館がある、東京の文化資本の凄さ。

国宝も含む展示のクオリティはとても高いが、中でも狩野尚信「山水図屏風」(ざっくりな名称なのか?)の一双を、かなりの時間眺めていた。床几台に座って全体をボンヤリ眺めたり、最近買ったZeiss Mono 4X12T*(とても良い)で筆運びを見たり。


狩野尚信は狩野探幽の弟。探幽の名前は、多くの人が知っているから、それを軸に〜の弟とか、〜の孫とか言われるのは仕方ない。それは、後世の事だろうか?リアルタイムでは、どのように認識されていたのだろう。鍛治橋とか、浜町とか、現代の地理感覚でも認識できる、徒歩圏の狭い地域に江戸狩野派が住まっていた時代というのは、どんな感じだったのか。

くどくど解説が書いてあるわけでは無い。基本、自分で眺めて、自分で感じるしか無い。

画面全体が、水に満ちた構図というのは分かる。しかし、これが川なのか、湖なのか、海なのか。標高はどうなのだろう。水表の向こうから、太陽が昇りつつあるようにみえる。馬に乗った師匠と弟子が配される構図は、定番なのだろう。

立ちこめた朝霧の向こうから、岩礁が、やがて目に入ってくる。村の中には急流が流れている。とすれば、ここは山奥だろうか。しかし、水面は広く、彼方に船のマストが見える。これは漁船だろう、とすれば、カルデラ湖のようなものか、あるいは中国の険しい山中を想像して書いたのか。南宋画の世界観だろうか?

ずっと見ていると、日が昇りいろいろなものがカタチを持って見えてくる。音だけがしていた急流がカタチを持って現れ、それを渡ろうとする村人の生活が立ちあらあれてくる。向こうには、立派な寺院のような屋根が見える。遠くの峰も見えてくる。霧が晴れると一日がはじまっていく。そういう世界だろうか。分からない、が、正解も別に無いだろう、。

最近は、日本画が良いなと思う。自然に体の中に入ってくる感じがある。あるいは、小さい頃に祖父母の家で見ていた、古びたふすま絵の様子を、脳が想起しているのかもしれない。


ちなみに、併設のカフェでは、(タイミングによるのだろうけれど)凄く手の込んだケーキを食べられた。

おるね

Photo: "Spotted."
Photo: “Spotted.” 2025. Tokyo, Japan, Fujifilm X-Pro2, Fujifilm M Mount Adaptor + Carl Zeiss Planar T* 2/50 ZM

芒の隙間から覗くと、おるね。