
千葉県立美術館に隣接するポートパーク、夏場は凄い人出で、近づく気にならなかった。今は、人もまばら。アーティストトークの時間まで、暇を潰す。
丘の頂上のベンチも誰も居らず、背にかかる風は冷たく、ずっと文章を書いていられる気分では無い。家族連れの歓声が遙か遠くに聞こえていて、部活の練習だろうかジョギングの列が近くを通る。
選ばなかった未来は分からない、だから考えないにしても、徳川慶喜の弟昭武の日記には、全くもって今日起こった出来事しか書いていないという。そこには心情も、感想も、過去の回想も、未来の予想も無い。幕府の名代としてヨーロッパに滞在した徳川昭武は、日記と沢山の写真を残している。
撮影した写真の露出まで記録している彼は、しかし、徳川幕府が滅びたその時のことも、日記では特に触れていないという。逆に、日本人として、初めてココアを飲んだ記録が昭武の日記には残っている。実は、そんな記述にも、結構な価値があるのだと思う。
徳川幕府が滅びた後も、華族として不自由の無い生活を送っていたようではあるが、その胸中はどのようなものだったか。それは、一切残っていないのだと。
人生の残りはあと一万数千日。自由に出かけられるのは、数千日が良いところだろう。その目の前の一日をどう過ごすのか。自分の思い通りに、いつになった日々を送れるようになるのか。送れていた時期もあった気がする、いつのまにかどうにも出来なくなっていた。
華族として身分は保証されていた昭武も、実際には日記一つ自由では無かった。記録魔なのであれば、自分の心情を書き残したかったのでは無いか。あるいは、私小説のような概念は、当時無かったのかもしれない。生まれたときから将軍家の公人であり、「私」として何かを残す自由も、発想も無かったか。
高校生達が戻ってきた、ずっと同じ所を周回しているのか。日記は今しか書けない、昨日のことは書けない、明日のこともかけない。しかも、自分の今の気持ちを書けるようにしておくには、心のバッファが必要だ。
鳥がうるさいくらいに鳴いている。別に楽園では無いのだろう、縄張り争いだろうか。木々は紅葉が始まっている。あと何回、紅葉を見るのか。背に当たる風がいい加減冷たい。少し先まで歩いて海でも見るか。


