郊外の川に、蛍が放たれているらしい。そういえば、本物の蛍を、多分見たことがない。フィルム時代に蛍を撮ろうなんて思わなかったが、デジタルなら一枚ぐらいはいけるかも!?
来てみれば、やはり蛍というよりも、人を見に来たよう。それでも、「目」を澄ませば、数条の灯りを見つけられる。デジカメもそれなりに人間の網膜に近づいたか。
川面に、光が飛んでいく。そこまでは、撮れないようだ。
写真と紀行文
郊外の川に、蛍が放たれているらしい。そういえば、本物の蛍を、多分見たことがない。フィルム時代に蛍を撮ろうなんて思わなかったが、デジタルなら一枚ぐらいはいけるかも!?
来てみれば、やはり蛍というよりも、人を見に来たよう。それでも、「目」を澄ませば、数条の灯りを見つけられる。デジカメもそれなりに人間の網膜に近づいたか。
川面に、光が飛んでいく。そこまでは、撮れないようだ。
二月。香港に出発する直前、日本の GDP が中国に抜かれた、という報道を聞いた。そんなことも有って、僕は少し複雑な気分で香港に降り立った。
初めて訪れた香港は、アジアパシフィックの交易の中心地として、今も順調な発展をしているように見えた。教育の有る層は皆英語を話し、それでいて容赦ない漢民族的な、しかし中国本土とはまた違った西欧的な活気が、満ちていた。ビルは高く、あらゆるところが工事中で、人がせわしなく働いている。
日本は彼らに追いつかれ、追い越され、そして置き去りにされるのだろうか。日本の進む道は、ここまでなのだろうか。日本では、僕も、僕の周りの人も、色んな人が、多かれ少なかれそんな思いをどこかに持っているような気がする。
香港に一週間滞在し、帰国した。深夜、成田空港から TCAT に向かうバスの窓から、美しく舗装された高速道路と、丁寧に維持された街並みを見て思う。日本、これが、衰退していく国なのだろうか?と。
あるいは、そうだとして、これ以上我々に何が望めたのだろう。我々と我々の祖先が築いたこの国の形は、沢山の問題はあるにしても、世界屈指の生活レベルを実現するまでになった。この小さな国に、それ以上、何が望めただろう。
その思いはしかし、3月11日以前のことだ。
あの日から、日本の歴史は変わってしまった。災厄の日から二ヶ月が過ぎて、東京では日常が戻りつつある。人々は職場や学校に戻ってきた。テレビは、いつものばかばかしい番組を垂れ流し、スーパーの棚も、僕の Outlook の予定表も、いつも通り埋まっている。
それでも、3月11日以前と、以降では、日本の形は永遠に変わってしまった。あの日から、別の世界に紛れ込んでしまったように、運命の道筋が、ねじれてしまったかのように。それでも、僕たちは生きていかなくてはならないし、働かなくてはならないし、電車に乗ったり、ご飯を食べたり、愛し合ったり、罵りあったり、とにかく、いろんな事をしなくてはならない。気の遠くなる事だが、この現実に折り合いをつけていかなくては、ならない。
多分少し、生きることのリアリティーを取り戻した。命の危険にさらされて、いや、気がついて、初めて。
「芸術は頭の鎮静剤だよワトソン君」
と、ジェレミーブレット演ずるシャーロック・ホームズが言っていたことは、多分あたっている。
オランダに出張した友達から、ずっと前にもらったゴッホの画集。それは、ちゃんと現地のゴッホ美術館で買ってきてくれたものだ。
僕が色んな事に悩んでいた頃に、貰ったように記憶している。
画集は、今は実家に置いてある。
実家に戻って、その画集の背表紙を見る度に、それをわざわざ買ってきてくれた友人の気持ちに触れる。そういう贈り物が、自分も出来たらいいなと思う。