カタツムリ氏

Snail?

Photo: “Snail?” 2012. Ho Chi Minh City, Vietnam, Apple iPhone 4S.

「カラカラカラ」

「あなた、、でかいですね」

「話しかけんなよ」

「ホーチミンシティーのど真ん中で、バス停の壁にひっついてるわけですが、、カタツムリかなんかですか?」

「うるさいよ、名前あるけど、ベトナム語だしお前には分かんないだろ」

「5センチぐらいありますよね、この大きさ普通ですか?」

「普通だよ。雨降るまでほっとけよ。今顔出したら、危ないんだよ。」

「確かに、、あなたを撮っていたら、むしろ僕の方が好奇な目で見られました」

「カラカラ。。」


鮮やかな黄色に映える謎の巻貝氏は、雨が降るまでは忍耐の作戦だろうか。この後、信じられないようなスコールがやってくる事を、僕はまだ知らなかった。その豪雨は、タイとかマレーシアとか、そんな国で体験したスコールとは、また桁違いの凄いヤツだ。

街が水飛沫に飲まれる頃、カタツムリ氏は息を吹き返して、悠々と這い出すのだろう。実に、あの豪雨でも大丈夫そうな大きさだった。

カブトムシ氏 来たる

Trypoxylus dichotomus

Photo: “Trypoxylus dichotomous.” 2015. Tokyo, Japan, Apple iPhone 5S.

7月上旬の暑い週末、外から帰って郵便受けのあたりで、何かと目が合った気がした。見慣れない、いや見慣れない訳ではないが、日常的に見るわけではない、何かが柱の隅っこに居る。

もう一度、よく見るとやっぱりカブトムシだった。どこからか逃げてきたのだろう。

部屋に帰ってふと考える。この暑さでは、どこに行くこともできないだろう。コンクリートの塊しか無い街で脱走とは、浅はかな。公園にでも放す?この炎天下で1日ともたないだろう。飼う?面倒極まりない。放っておく?それが一番いい。せっかく脱走して掴んだ自由なのだ。

暫くして、もう一度、1階まで降りてみた。そこにまだ居たら、仕方がない、面倒を見るしかないだろう。そしてもちろん、そこにじっとしていた。真っ黒な体色の彼らは、直射日光の中で活動できない。玉虫色のカナブンとは、違うのだ。


ホームセンターの虫コーナー。足を踏み入れたことはなかったが、季節も盛りで、カブトムシグッズにはことかかない。水槽からカブトムシ観察手帳までセットになった入門キットなどというものもある。子供のお小遣いでは、いろいろ揃えるのも大変だが、大人のお財布だと、気になるような値段では無い。水槽からマット(木のフレークみたいなもの)、止まり木、専用ゼリー、樹皮、何でもある。資本主義ってすごい。なんで小枝にまで金を払わなければならないのかさっぱり分からないが、転倒防止に必須と書かれると、仕方なくそれも買う。

警戒心たっぷりだったカブトムシも、止まり木にゼリーをおいてやると、一目散に歩み寄って、一心不乱に食べている。脱走以来、何も食べていなかったのだろう。とりあえず、そうさせておいて、水槽の中に家などをこしらえる。調べてみると、今はいろいろ進化していて、苺パックにそこらへんの土を入れて、スイカの皮を置いておく、なんていう牧歌的な飼い方では、もはやない。針葉樹系のマットに適切な水分を含ませ、隠れ場所をつくり、ひっくり返っても起き上がれるように樹皮を敷く。餌がマットを汚さないように餌場を木の上に用意して、専用ゼリーを与える。俺はカブトムシ・ブリーダーか何かか。


餌。これは困った。いろいろ与えてみると、バナナが一番好きなようだ。彼にバナナのグレードが分かるのか試してみたが、どうも分かるようだ。成城石井のエクアドル産のバナナには尋常では無い食いつきを見せるが、某ディスカウントスーパーの見切り品には見向きもしなかった。甘みがそんなに違うとは思えないので、多分、残留農薬とかが関係している気がする。最近はブドウがお気に入りになっている。普通、カブトムシのピークシーズンにはブドウはまだ出てきていないから、あまりブドウを食べさせる例は無いようだが、糖度が高くて柔らかいから、かれらの口の形状にも合うのだろう。(カブトムシには歯が無い)

さて、それから約二ヶ月、普通の成虫の平均寿命をとっくに越えていると思うのだが、カブトムシ氏は健在だ。だいぶ野生の勘は失ってきたようで、マットの交換の時に、外に出しておいても、逃げるわけでもなく大人しくしている。よくみると、寝ているのか起きているのか、なんとなく分かるようになってきた。寝ているときに霧を吹いたりすると、本気で驚いて起きる。

そういえば、カブトムシ氏は鳴く。子供の頃は気がつかなかったな。

旅する理由

New highway

Photo: “New highway” 2013. Greater Noida, India, Apple iPhone 4S.

今年、6回目の出国のために、夜のターミナルでバスを待つ。父親が死んで、そういえば、彼の居る、そんな家が嫌で旅が好きだったんだと思い出す。


旅はいつか終わり、そして帰らなくてはならない。だから、初めて一人暮らしをした時は、自分の帰る場所を自由に決められるのがとても嬉しかった。

今、自分が父親であってもおかしくない年齢になった。旅先で、ふと、自分がここで毎日生活していたら、どんな気分がするのかと思う事がある。家族の営みというものが、気の遠が遠くなるほどの数で、同時並行で、世界中で、今日も続いている。


ニューデリーから車で1時間ほど行くと、田園地帯が広がっている。その真ん中を、真新しいハイウェイが貫く。雨季の初め、川は増水して柔らかい葦の茂みに覆われた河岸を飲み込み、水と陸の境目はどこまでも曖昧だ。黒く光る農民の肌と、置物のように点在する牛たち。ただならぬ熱気と苛烈さを持った太陽が、雨上がりの川と水田を舐め尽くし、黄金色に輝く緑一色の風景を作り上げている。

こんな美しい景色はみたことがない。僕は写真を撮ることも忘れて、運転手にインドの田んぼは綺麗だねー、とさかんに話しかけた。人類はここからやって来たんだよ、と言われたら信じてしまったと思う。でも、僕はただの旅行者で、その景色は10分せずに、はるか後ろに通り過ぎてしまう。

僕が帰るべき場所は、どこだ?