
人が何によって世界を把握するかというと、五感なのであって、その中で取分け何に重きを置いているか、何に傾いているかというのは人それぞれだ。
僕はそれを嗅覚に頼っている。そのことには最近気がついた。羊ページを検索してみると、僕はこの 10年で 29回の「匂い」という言葉を使い、22回の「香り」という言葉を使っている。
匂いが表現できるメディアは、ほぼ文章だけ、だと思う。だから、僕が表現の手段として、画を描くわけでもなく、歌を歌うわけでもなく、文字を選んだのは、そいういうこともあるのかもしれない。
人が何によって世界を把握するかというと、五感なのであって、その中で取分け何に重きを置いているか、何に傾いているかというのは人それぞれだ。
僕はそれを嗅覚に頼っている。そのことには最近気がついた。羊ページを検索してみると、僕はこの 10年で 29回の「匂い」という言葉を使い、22回の「香り」という言葉を使っている。
匂いが表現できるメディアは、ほぼ文章だけ、だと思う。だから、僕が表現の手段として、画を描くわけでもなく、歌を歌うわけでもなく、文字を選んだのは、そいういうこともあるのかもしれない。
熱海の街を歩いて、干物屋をひやかすのは面白い。
店の作りはどれもよく似ていて、軒先には人寄せを兼ねた干し台があり、奥にこぢんまりとした入れ込みのような休憩所がつくってある。練炭を入れた七輪で、干物を炙って食べる趣向だ。
干物の他にも、蛸の塩辛や、鯑の山葵漬、若布のふりかけなんかが並んでいるが、よくよく見ると、これって箱根でも売ってたよな、というのもあったりする。もっとも、そういうのをあえて買う愉しみ、みたいなものは確かにある。
それにしても、干物というのは、色とりどり魚が盛られていて、しかも、もうあとは炙って食べるばかりという訳で、つい、あれもこれも欲しくなる。特にこの棚。梭子魚のピンと張った尻尾と、飴色の身は、とても美しくて、日本の食べ物の綺麗さに息を飲む。温泉町の土産物屋で、こんなものが買えるのだ。
結局僕は、ここでは何も買わないで出た。かまぼこか何かを、買っていたのも居たな。