誰かに向けて書く文章

Photo: 湧水 2005. Contax i4R, Carl Zeiss Tessar T* F2.8/6.5.

Photo: "湧水" 2005. Contax i4R, Carl Zeiss Tessar T* F2.8/6.5.

松浦弥太郎の「最低で最高の本屋」は 気持ちの良い本で、その中に、”自分は文章を必ず誰かに向けて書いている”とあった。「誰か」は誰にも言わないし、それは毎回違う人に向けてなのかもしれ ないけれど、ある種の「ラブレター」のように、誰かに向けて文章を書いていると。それが、良い文章を書くコツなんだって。


僕も、そう、いつも誰かに向かって文章を書いているのであって、それが明確な時には良い文章に、よく分からない時は良くない文章になっている気がする。文章の上手い下手、ではなくて、思いの真っ直ぐさが決めること。

あなたは、今、誰に向けて書いていますか。

ハートで感じる英文法

ネイティブスピーカーの英文法絶対基礎力
今まで幾多の英語勉強本に騙されてきたが、ついに見つけた。こういう風に教わるべきだったんだな、と思った本。
単語力はなんとなくついて、対訳していけばなんとなく意味は分かるようになっても、なんというか、どんな感情とか感覚があるのかが全然掴めなかった英語。日本語と違って、全然生き生きしてない。そんなモヤモヤ感を打ち壊してくれたのがこの本。
冒頭、「英語は並べて意味を作る言語。日本語の語尾変化に相当するのが、並べ方なんだ」という、とてもシンプルで、しかし、誰も教えてくれなかった原則にまずノックアウト。なるほどね。続いて、「be動詞に意味はない」と来る。え、、今まで習ったのはなんだったんでしょ、、。
この本は、ある状況や、感情や、意志が、ネイティブの中でどのように英語として変換されるのか。あるいは、英語によって表された文章から、ネイティブがどんなイメージを受け取るのか。その過程を理解し、身につけることに徹底的にフォーカスしている。
もともと、NHKでやっていた「ハートで感じる英文法」という番組をRD-X5がたまたま見ていて、それがかなり画期的な番組だったので、その講師の著書を買ってみたのだが、これ、僕にはとても合う。
その無味乾燥に見える英文に、どんなイメージが表現されているのか。それを知ると、英語の勉強が楽しくなってくるから不思議。

テレビは貧者の王様

Photo: テレビ 2005. Contax i4R, Carl Zeiss Tessar T* F2.8/6.5.

Photo: "テレビ" 2005. Contax i4R, Carl Zeiss Tessar T* F2.8/6.5.

僕は平日はほとんどテレビを付けない。地上波はもっと見ない。いくつかの番組は(特攻野郎Aチームとか、、)、RD-X5 が勝手に見ておいてくれるので、週末に気が向いたら見るし、撮るだけ撮って削除してしまうこともある。何で見ないか?というとそこにはもう面白いものはあまりないし、新しいものも無いからだ。テレビは、もう先端じゃないのだ。

テレビの現状、ということについて、最近読んだ大橋巨泉のインタビューが面白かった。最近の視聴率低迷、テレビ離れという状況を評して、「勝ち組とか金持ちとかインテリがテレビを見なくなっただけ」で、「テレビは今に「貧困層の王様」になるはず」だと彼は言う。


業界の人間は、皆分かっていても、怖くて言えなかった真実だと思う。実際、今の日本の地上波テレビというのは、最も安価で安易な娯楽である。テレビは貧者のベビーシッターであり、老人介護マシンであり、話し相手だ。

作り手の「志」、あるいは、視聴者の「民度」による番組品質の向上あるいは低下という議論は別にして、テレビの主要な収入源である広告、それを支えるスポンサー、その商品を買う視聴者、という図式で考えると、視聴者が貧困層中心になるということは、そこから期待される購買力は下がり、結果として広告料は下がり、制作費は下がり、番組の程度は落ちる、ということが容易に想像される。

テレビの歴史は、金持ちしか買えない憧れのテレビ→皆が見るメディアの王様としてのテレビ→低所得者層の安価な娯楽としてのテレビ、という変遷をたどる。テレビは今や最後のステップに入りつつあり、メディアの王様でもなんでもない、one ofのメディアでしかない。歴史の流れは止まらないのであって、「底流」のための娯楽として、更に程度を落としていくことは間違いないのだろう。

日経ビジネス EXPRESS : 【大橋巨泉氏】
http://nb.nikkeibp.co.jp/free/tvwars/interview/20060127005218.shtml