East China Sea

Photo: 1995. taiwan, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38

Photo: 1995. taiwan, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38

ここに掲載する一連の写真は、僕がまだ学生の時に撮ったものだ。

1995年晩夏。僕は台湾に渡った。おりしも、台湾初の総統選挙や、沖縄のレイプ事件に端を発する、日米安全保障条約に関する議論などに、大きな関心が寄せられていた時期。歴史がつくられていく瞬間にいるのだ、という気持ち。

台北までは、那覇からジェット機で 1時間程度。沈む夕日と追いかけっこになる。ボーイング 737 の窓から写す。夕日を受けて、海が飴色に輝く。

オンスケジュール

この調子だと、絶対倒れる。

といっても、別に脳卒中とかそういうのではなくて、疲労と風邪での話しだ。先週ぐらいから、朝11時から、夜11 時過ぎまで、とても勤勉に労働をしていた。おかげで、プロジェクトの自分の担当部分に関しては、とりあえずオンスケジュールでできあがった。が、それでも う限界。体温はどんどん上がり、昨日の午後2時過ぎにはついに思考能力が消失したので、即、帰ることにした。

「いってらっしゃい」

エレベーターですれ違った、同僚の女性は、僕が客先に行くものだと勘違いしていた。なんせ、まだ2時半だし。

今日は、本来であれば、幕張まで行かなければならないので、午前6時に起きる。しかし、動けず。8時まで寝てみたが、やはり無理。しかし、一応起きて朝食を食べ、外に出てはみるものの、世界が回っていたので、ここに至って「行けない」と判断した。

しかし、ふと考えてみると、そこまでして仕事に行こうとしている自分に苦笑する。休んだからといって、別に誰かに 怒られるわけではない。冒頭のプロジェクトだって、マネジメントは僕がやっているのだから、僕が予定を書き換えれば済む話しなのだ。それでも、自分の責任 を考えてしまうと、どうにも弱い。なんか、典型的に過労死しそうな思考パターンだ。< 自分はそういう愚かなことはしたくないし、まさかしないだろう、、。とばかりも、言えない気がしてきた。よくない。 また熱出てきた、、。

後になってから分かる

例えば神戸旅行の日記と、韓国出張の日記はかなり頑張って、現地で書いた。しかし、結局は面白くないし、自分で読み返す気にもなれない。大切な部分が、何一つ文章に入っていかない。輪郭をなぞるこ としかできない。それは、書いているときから分かっていた。大切なことを書き留めようとしているのに、ポロポロとこぼしている。それが分かってしまう。かように、人が、「今」を見定める能力というのは、とても低い。

何がその時大切だったのかは、後になってから分かる。僕たちは皆、意外なほど賢くない。だから、余計な記憶がすっかり抜け落ちてしまってから、ようやく後に残った大切ものに気がつく。分かるのは、既に消化された、今となっては取り返しのつかない部分、過去の事。


自分でちゃんと意味が分かったり、理解できたりするときには、たいていのことがあまりにも昔の出来事になってしまっている。こう書くと、僕はさぞか し後悔に満ちた人生を送るタイプに思われるかもしれない。しかし、僕は後悔というのはあまりしない。その時々の事に関して、後から評価するのはフェアじゃ ない、そう思うからだ。平たく言えば、その時、その人は、そういう風にしか分からなかったんだよね、という風に、自分に対しても他人に対しても考える。そ して、あのときこうしていれば、という風には考えないようにしている。

しかし最近、そういう考え方は良くないのかも、と思い始めた。それは、自分で可能性を刈り取っていくような、そんな行為なのかもしれないからだ。以 前は、そういう風に考えられることが、「大人なこと」だと思ってきたのだけれど、単に可能性に賭けることに疲れた人間の、言い訳なのかもしれない。近頃 は、そう思うのである。