鍋屋のランラン

Photo: No.1 2009. Beijin, China, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

Photo: "No.1" 2009. Beijin, China, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

ガイドブックに従って訪れたレストランは、民族衣装姿のスタッフが総出でお出迎えしている時点で、もうある意味アウトであり、ある意味当たりだった。これは、ぼられる。でも、腹減ったし。


ガランとしたホールを抜け、中庭に面した回廊のような場所にあるテーブルに案内される。中国人のビジネスマンらしき先客がいて、なにやら鍋を煮ている。それほど、観光客相手という場所でも無いのだろうか。

席に着くと、愛想の良い小柄な男が、嬉しそうにやたらに高価なコース料理を勧めてくる。2,000元?ありえない。簡体字はよく分からないし、 English 何ソレの世界だ。これはなんです?えーと、犬か?いや犬はいらないから。小男と散々議論の末に、羊肉と薬草の鍋にする。値段は、500元程と、それでも良い値段がする。

鍋が煮えるまでの間、中庭を挟んで反対側にある、小部屋を案内される。寒くないのか心配になるくらい安っぽい民族衣装を着た、中学生ぐらいの女の子が、中国語で熱心に(全く分からないが)説明してくれる。名前は分からないので、仮にランランとしておく。かつての貴族の生活を再現したとおぼしき、家財道具や楽器、書物などが慎ましく並べられている。後半、ちょっとだけたどたどしい英語で、部屋に置かれた鏡の来歴を話してくれた。ランランは学校に行っているのだろうか。


鍋は、羊の脂の無いところを使って、朝鮮人参、白キクラゲ、山芋などと一緒に煮た、「火鍋の辛くない方の半分」みたいな内容だった。朝鮮人参と書いたが、実際、野菜達は中国原産らしい薬草の類で、自分が何を食べているのかよく分からない。羊は中国で食べるモノとしては例外的に臭みが無くて美味。スープは鳥をベースにしたものだろうか、まろやか。

一緒に何皿か出てきたつまみが、意外にも全部美味しい。まずは、ウズラの卵のピータンのようなもので、匂いがきつくない割に、こくがある。つまむのに丁度良い。白菜を辛子で漬けたモノ。これは、荒く潰した芥子種のぴりっとした風味が強く利いていてさわやかな品。料理の名前が是非知りたかったのだが、日本の中華街などでも見つからなくて、未だに分からない。それに、かなり干してスモークした、ソーセージ。豚の骨をカラメルで挙げたモノ。これはプリ ンみたいな味がして、見た目よりも美味しい。同じ料理を、中華街の広東料理の店で見かけた。12元のチンタオビールは、やっぱりアジア的にぬるい。

何だか良く分からないが、追加でこれも食べるか?と色々と皿を持ってこられる。明らかに、追加料金を取られる気配だし、ただでさえ食べきれない量なので、断る。絶対いらない!と餃子を断ったら、ウエイトレスは、とても不満そうだ。断った餃子は、テーブルに置かれるでもなく下げられるでもなく、執拗な までに隅の窓の所に置きざらしにされ、ついにテーブルを立つときまで置きっぱなしだった。明日も、あのままどこかのテーブルに供されるのだろうか。


銅鑼の音が鳴ると、ショーの合図だ。先ほど通った、ガランとしたホールに、けばけばしい民族衣装の女の子が 6人ほど、踊っている。ランランよりは年長に見えるが、彼女たちも本当なら学校に行っていているような年齢だ。舞台の袖の方では、同じような年齢の男の従業員達が、ソワソワしながら彼女たちを見ている。中国舞踊がどのようなものか、僕には知識が無いが、決められた動きの中にも、個々人の優雅さの違いみたい なものは見て取れる。多分、一番華があるのはこの子か。

カーペットの糸はほつれ、衣装は安っぽい化繊の光沢を放つ。ガランとしたホールに、すり切れたテープの民族音楽と、数人の観客。それでも、そこに郷愁を感じることが無かったのは、彼女たちのあくまでも前向きな表情のせいだったかもしれない。彼女達は、何かに繋がる第一歩として、踊っているのだろう。 あるいは、殆どの子がここで終わってしまうとしても、それで十分なのだ。例えばランランは、このステージにも立つことも出来ない。


レジを済ませて、割と美味しい料理に、ランランの案内に、謎の舞踊ショーならこんなものかと思う。外に出ようとすると、急場のお土産屋台が出来ている。店員は、ランランか、、。扇子とか、根付けとか、粗末なお土産品。何か買ってあげたかったが、とても買う気になるようなものは無かった。

「See you.」

と英語で挨拶すると、恥ずかしそうにサンキューと返した。彼女に、二度と会うことは、無いのだと思う。ランランには頑張って欲しいなぁ、と勝手に思う。とても、勝手に。

北京のビッグマック

Photo: "北京のビッグマック"

Photo: “北京のビッグマック” 2009. China, Ricoh GR DIGITAL, GR LENS F2.4/28.

旅の始まりはマックと決まっているので、荷物を置いたら早速マックに行ってみる。実際、腹が減っていた。新宿歌舞伎町の深夜のマックのように、北京の深夜のマックにもどことなく荒れた雰囲気が漂っていた。お客の殆どは、始発待ちの若者のように見える。机に突っ伏したままの男や、クラブ帰りの(そんなものがあるのかは知らないが)グループや、カタギっぽくないオッサンとケバイ女子、入り乱れた客層。


バイトのスタッフは、不機嫌を顔に貼り付けたように無愛想なオバチャン(ヨネスケに似ている)と、熱心に掃除らや片付けやらをしているおっチャン。 奥で、やる気無くハンバーガーを組み立てる社員風の店員が一人。社員とバイトは多分制服が違うのであって、見ているといくら忙しくても社員はバイトの分担と思われる仕事には決して手出しをしない。資本主義の権化のようなマックでも、北京では官僚主義のルールが支配しているのだろうか。若い、顔立ちの整った店長が不機嫌な顔でレジを締めている。


行列の存在しないカウンターで、割り込んだり割り込まれたりしながら、ビッグマックとプライドポテト、そしてコーラを頼む。というか、それしか頼めなかった。英語は潔く通じない。飲み物は訊かれなかったが、どうやらコーラ一択というシステムのようだ。潔い。ショップの中には、ずっと公安警察(日本の警視庁)の人間が居る。別に何を取り締まっているわけでも無さそうだが、飲食物に金を払っているようにも見えないし、ただ休憩をしているだけにも見えない。カトラリーボックスの中をいじったり、店員と談笑したり、時折携帯で電話を受けたりしている。まっとうな勤務をしているとは、やはりとても思えない。あるいは、彼らが居ることに、24時間営業できる理由、のようなものがあるのかもしれない。

フライドポテトは、食べていて嫌な予感がしたので、途中で食べるのをやめた。が、やはり時既に遅く、酸化した油のお陰で手が痒くなってくる。ビッグマック自体は、なんというかちょっとパサパサで薄味な気がしたけれど(元からそんなもの、という気もする)、景気よく入ったレタスのおかげで、あの写真に 結構近い仕上がりになっていた。もう眠い。3元のミネラルウォーターをヨネスケから買い、帰途につく。


栓が出来ない湯船に、風呂をあきらめて、眠る。贅沢なクラスのホテルではないけれど、ベッドは広いし、特に不満のある部屋ではない。水が無いのが、ちょっと困る。40元で2リットルのエビアンがおいてある、円換算で500円ぐらいすると、やっぱりちょっと高く感じてしまう。 明日、商店が開いている時間に、水をしこたま買っておこうと思う。暖房を消して寝ると、凍死しそうな気がしたので、マスクをして暖房は入れたまま寝ることにする。前回、あまりの大気汚染に鼻血を出した苦い経験から、マスクは山ほど持ってきたのだった。

夜の北京は、予想外に静かだった。クラクションの音も聞こえない。空港からここに至るまでの間に、もう僕の中の日本の空気は薄くなり、北京の空気に入れ替わる。明日目覚めれば、違和感もだいぶ薄れるに違いない。

地下鉄はメイヨー

Photo: "ディスプレイ"

Photo: “ディスプレイ” 2009. China, Ricoh GR DIGITAL, GR LENS F2.4/28.

入国審査の係官は、怪訝そうに僕のパスポートを眺め「日本人?」と訊いたきり、沈黙してしまった。懐から、小さなルーペを取り出すと、パスポートの 写真に張り替えた跡がないか、執拗に探し始めた。運転免許証まで出させられ、それでも納得がいかないのか、じっとパスポートを見ている。隣のブースの係官が、面白そうにそれを眺めている。

入国に関してやましいところは無いが、夜も遅いガランとした空港で、僕はじっと立たされている。下手に口を開くのは、一番賢明ではないやり方だとも分かっていて、さしあたり僕にできることは入国ブースの観察、だった。僕が中国に入国するには、それからたっぷり 5分はかかった。

オリンピックを経て、北京首都国際空港は、大きな変貌を遂げていた。だだっ広いだけだった空港には、いろいろな設備や、しゃれた天井が設置され、なんとも言えないおおざっぱな張りぼて感はあるものの、ゴミ一つ落ちていない清潔で近代的で、そうして社会主義な空港になっていた。


手荷物を受け取って、薄暗い空港正面を出ると、いきなり喧噪とゴミと人の混ざり合う混沌とした車寄せ、、のはずが清潔な地下鉄乗り場に変わっていたりする。おなじ空港とは思えない。中国は変わったのだろうか、そんな疑念?が湧いてくる。

それでも、インフォーメーションカウンターでは「詰め寄った者勝ち方式」で、案内が行われており、列に大人しく並ぶマナーよりも、厚かましさと声の大きさが必要なようだった。オリンピックを経ても、行列するというシステムはこの国には馴染まなかった。後に、僕は色々な局面で、行列文化の定着失敗を思い知らされる。

自動改札を抜けて、プラズマディスプレイのインフォメーションボードが至る所に取り付けられたホームで電車を待つ。ボードを見ていると、勝手にチャンネルが変わったり、緑色のブランク表示になったり、そして、突然表示が落ちて真っ暗になったり。そう、やっぱりここは中国なのだ。体裁は整っても、基本的に大雑把なのだ。やってきた自動運転の地下鉄車両のヘッドライトは、やっぱり片側が切れていた。


前回僕が中国に来た時、一番最初に覚えた中国語は(そして唯一の中国語は)、メイヨーだった。漢字で書くと、没有(Not available)。そして、そのメイヨーの響きを僕はすっかり忘れていたのだけれど、空港からライナーの地下鉄に乗り、市街の地下鉄に乗り換えようと した瞬間に、再びメイヨーの洗礼を浴びた。

「もう電車はメイヨーだ。」

改札が閉じられているだけでは飽きたらず、何人もの駅員が改札をブロックしている。乗り換え先の改札に、Mr. & Miss メイヨーが陣取って、意地でも通さない構え。そうしないと、無理に乗ろうとする人が居るのだろうか。多分、居るのだろう。


あらゆる行き先の券売機がメイヨーになっているところを見ると、どうやら、地下鉄は終電の接続なんてちっとも考えないで運行されているのだった。そうなった瞬間に、地上に到るまでの階段にはエレベータもエスカレータもメイヨーであって、スーツケースを抱えて地上に出ると、タクシー乗り場もメイヨーであった。あらゆるメイヨーが、僕に一気に襲いかかってきた。ホテルの方角もメイヨーで、ここはいったいどこなんだ。

そこには、北京オリンピックですっかり近代化されて、どこの中国かさっぱり分からなくなった景色ではなくて、見慣れた、冷たく埃っぽいアスファルトと、石と、コンクリートと、なんだかよく分からない物質でできたいつもの薄暗い街路が広がっていたのだった。