思いつきの記事一覧(全 906件)

香港2011年

Nathan Road, Hong Kong
Photo: “Nathan Road” 2011. Hong Kong, Apple iPhone 3GS, F2.8/37.

香港便。結局、退屈しきったので、PCを取り出して、文章を打ち始めた。

香港。それが中国という意味であれば、僕は中国には行ったことがある。しかし、そもそも通貨が異なる。中国行きの、ましてコードシェアであれば、それなりにアジアな喧噪を想像したが、そうでもない。中国本土行きに比べれば、乗客の民度というかお行儀は格段に良い。持ち込む荷物の量も少ないし、席を隔てたおしゃべりもあまりない。本土と香港は一つの国だとは言っても、租借の期間に歩んだ道のりの差異が、そういう所にも出ているのだと思う。もちろん、隣に座った香港人はヘッドフォンを付けず、大音量で iPhone で撮影した日本滞在中の動画を鑑賞している。

それも、まあ、そういうもんだろうと思うのは、僕が少しアジア圏のスタンダードに慣れたからなのかもしれない。


朝は、いつものように、少し早めの空港行きのバスに急いで乗った。こういうのは、勢いが大事で、迷っていたら永遠に荷造りなんて出来ない。バスの一番前の席に座って、曇り空の一日が明けていくのを眺める。毎日、日本から旅立つ人と、海外から降り立つ人を、運びつつけている運転手は、どんな気分でいるのだろう、という、いつもの疑問を頭の中で転がしながら、前を見つめる。

幕張を過ぎたあたりで、高速道路沿いにぼた山が見えてくる。厳密にはそう呼ばれるものでは無いのかもしれないが、僕のイメージではそれはぼた山だ。ただの建設残土の塊だった山に、数年で樹木が生えて、いまは少し山っぽくなってきた。張りぼてのミラコスタの壁を眺め、グランドオープンと書かれた、眩しい照明看板を掲げるラブホテル(午前6時だ)を通り過ぎ、一面の水田とそびえるゴミ焼却場。

誰だ、成田に空港を作ろうと考えたのは。

(震災前の文章)

笑ってはいけない

笑ってはいけない、を見ている。もう、最近のは笑ってはいけない前に、笑えないけれど、豆絞り隊だけは見なくてはいけない。

少し前。すき焼きをつつきながら、シンガポール人と話していた。

「お前は、Japanese comic showを知っているか?」

と訊かれる。なんの事だろう?日本の有名なテレビというが、そんな名前の番組、知らない。


「Don’t laughだ」

ん?んん?それはもしかして、

「笑ってはいけない」

の事だろうか。笑うと、バットで殴られるやつ。そう、それか。そういうジャンルの番組って、ものすごく日本オリジナルらしい。あの笑いが分かるのか。でもって、Youは肉を生卵にからめて食べられるのか。

外国人と親しくなるのが、だいぶ苦手だったが、彼とはその後、けっこう仲良くなった。

船越気分で覗く

The raised aqueduct
Photo: “The raised aqueduct” 2013. Nanzen-ji, Kyoto, Richo GR.

様式美、というのはあって、実にそれを作り上げる努力というのは、並々ならないものがあるのだと、最近は思う。

ただのマンネリじゃねーか、という、そのマンネリを作る力というのは、バカにできない。様式美は合理性に勝つ。それって、凄いことだと、改めて思う。

この間、仕事で対談した「エバンジェリスト」みたいな人も、いったいそのテーマで、どれだけのことがいまさら言えるんだろう?と思っていたのだけれど、実際話してみると、すげぇな、と思ってしまった。職人が行き着くと、様式美になるのだ。

別に伝統芸能とか伝統工芸とかに限らない。それが、ITみたいなものであっても、何であっても。


京都南禅寺、水路閣。火サスに出てくる、あのシーン。絶対に見たことがあるはず。

船越が待ち合わせたり、追いかけたり、襲われたりする、例の水道橋だ。これが実際に行ってみると、南禅寺の一番奥まった場所にあって、たまたま行き着くような場所ではない。交通の便も良くないし、この場所へのアプローチは長い一本道だから、さぞかし尾行などもしづらいだろう。

ようは、ここで襲われたりする事は無いだろうし、待ち合わせるような場所でも無いのだ。しかし、絵にはなる。


ということで、ここで事件が展開する妥当性は、実際ところまったく無いのだけれど、京都ゆけむり殺人紀行の様式美としての水道橋は、絶対に必要なのだ。

ここに来たら、どうしたって、船越気分で覗くしかない。この現場に立った僕は、むしろ様式美に自分を合わせてしまうのだった。