雨はキライ

夜11時過ぎに会社を出ると、外は嫌がらせのような土砂降りだった。

雨の日は、たとえ背広を着ていても(今日は珍しく着ていた)トレッキング・シューズで来るのだが、そんなものでは防ぎようがない程の勢い。どこもかしこも、水浸しだ。

そして、ようやく雨を避けて駅の地下道に入ると、今度はムッとしたジメジメ空気。空気が目に見えるように淀んでいる。

てめえ、働いてる人間になんて仕打ちをしやがる、と意味もなく、相手もなく怒りたい気分だった。

前回の[今日の一言]では、「雨は好きだ」と書いたが、やっぱキライ。カリフォルニアに住みたい。

雨は好きですか?

雨は好きですか?
こう訊かれたら、どう答えようか。

僕は、雨は好きだ。凄く凡庸に言えば、雨は小休止みたいな時間をくれるから好きだ。


カラッと晴れた朝は、なんかいろんな事がうまくいきそうに感じる。もっと、いろんなことを頑張ることができそうな気がする。(たいていは、気がするだけだったりするが)

しかし、毎日そんなんばっかりでは疲れてしまう。アメリカ西海岸の、「今日の天気、晴れ」「明日の天気、晴れ」「明後日の天気、晴れ」「明々後日の、、」みたいな、際限のないカラリ天気で長く暮らしたりしたら、きっと自分の性分みたいなものまで変わってしまうだろう。

雨が降っていると、なんとなくいろんな事を後回しにして良さそうな感じがする。まあ、今日は休んでおけや、、、とでも言われているような気がするのだ。

適度に雨の降る日本という場所で育った僕の体には、雨の存在を必要とするリズムのようなものが確かに存在していると思う。人が夜休むように、晴ればかりではなく、雨の与えてくれる休息のような時間が、僕には必要だ。

雨は、好きだ。

日記猿人

オンライン日記リンクサイト[日記猿人]に登録したら、かえって自分がはまってしまった。ここでは、個人が「日記」というシンプルな一つのテーマで、想像もつかないほど多様なことを書いている。登録数は4,000件以上、誰かしらによってひっきりなしに更新されている。最新のものを読むには、[ここ]から新規更新された日記を適当に探して、飛んでいけばそれでいい。

この日記猿人は、ページの人気投票みたいなものもあって、その上位に顔を出しているようなサイトは、割とこなれた感じのもので安心して読める。ほと んど、プロのエッセイストじゃないかっていうようなサイトもある。(僕にはどっちかというと、人気とかには全然関係ない、弱小サイトの方が怪しくて面白い けど)


狭いモニターの中で、オンライン日記を延々と読んでいると、皮肉なことに世界の広さを実感する。世の中には、本当にいろいろな一日がある。そして、本当にいろいろな気分がある。

乾ききった心で書いたような、痛々しい気分の日記もあるし、おいおいホントにここまでオンラインで書いちゃっていいのかよ、と思う無防備な気分の日 記もある。いままで、あんまり他のサイトがやっていることを気にしないで、勝手に自分の思っていることを書いてきた僕だが、ふと周りを見回してみると、自 分と同じようなことをしている人がけっこういて驚いた。

そして、そういう日記をひたすら眺めながら過ごしていると(今日は一日雨だったしね)、「こりゃ俺の方がうまいな」(失礼)とか「なんか自慢っぽい日記でヤナ感じ」とか、「コイツの生活はだいじょぶなのか?」とか、、、無限に時間が経ってしまう。

どんどん他人との繋がりが薄くなっていく日常だけれど、結局はどっかで繋がっていることを、人は求めるのかもしれない。オンライン日記を読んでいると、少し懐かしいような、ある種の親密さのようなものを感じるのは、僕だけだろうか。


そういえば、ずいぶん前の事になるのだけれど、祝一平さんが亡くなった。誰それ?という人が大半だと思うが、この人は僕が昔使っていたコンピュータ (X68000)の世界ではとても有名な人だった。この[今日の一言]には、日付がなくて「某月某日」という書き方になっているのだが、この書き方は、そ もそも祝さんが自分の雑誌に連載していたコーナー「変酋長の小屋」の書き方をまねたのである。

当時は、身の回りにはInternetなんて影も形もなくて、「変酋長の小屋」は日本初の月刊ディスクマガジン(CD-ROMではない。フロッピー ディスクです)に連載されていた。「変酋長の小屋」は、言ってみればデジタル日記のはしりだったかもしれない。ご冥福をお祈りします。