株価

株価、低いですね。皆さん、含み損なんか抱えてませんか?困りますよね、ほんとに。

関係ない話ですが、皆さん、マイラインは KDDI でしょ。

お願いです。マイラインは KDDI でしょ。

注1:本稿は KDDI の宣伝を単にご紹介しているだけであり、KDDI のサービスに関し、何ら推奨しているものではありません。

もの書きに関する雑感 その3

もの書きに関する雑感 その3

昔から、「ぬるい文章」はキライだった。誰かを傷つけるくらいの、とがった文章じゃないと意味がないと思ったりしていた。でも最近は、そんな風には 思わない。自分が考えていることを、明確に文章にすることさえ、そんなに大切なことではないように思えてきた。誤解したい人はすればいい、つまならいと思 う人は、見下せばいい。受け取れる人だけ、受け取ればいい。
「城の崎にて」などで有名な、作家 志賀直哉は、書き直せば書き直すほどに、文章が短くなっていったという。あまりにも文を削るので、今では研究者でさえ意味が分からなくなってしまった表現が幾つもあるそうだ。それだけ削って、なお彼の文章は優しい。

いっそ何も伝えないような文章。全て、読む人にまかせてしまうような文章、そんなものでもいいんじゃないかと思う。

姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ。

姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ。(本居宣長 1730?1801)

コンセプトとか発想を真似るのは簡単だが、姿形を真似るのは難しい。まあ、そんな意味のことだと思う。一瞬、「それって逆じゃないか?」と違和感を覚えるが、よくよく考えると、こっちが正解。

物事の姿形の大切さと、そこに込められた愛おしさ、そんなことを最近よく思う。それがデザインなのであれば、製品の見た目や使い心地。それが文章であれば、バランス感や空気感。

あるいは人であれば、それは佇まい。その笑顔も、その俯いた表情も、あなたにしかできない。例えば、そういうことだ。

注1:もともとは、フォントメーカーとして有名なモリサワの雑誌広告で引用されていた一言。最近、デザイン系の雑誌に興味があるのです。
注2:本居宣長 江戸中期の国学者。国学四大人の一。三十余年を費やして大著「古事記伝」を完成。儒仏を排して古道に帰るべきを説き、また、「もののあはれ」の文学評論を展開した。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版より、抜粋]