ネット&コンピュータの記事一覧(全 169件)

ネットラジオ

インターネットラジオ、最近かなり気に入っている。

以前は、あまり音質の良いものがなかったし、不安定だったが最近はまるで実用。44KHz のステレオで普通に放送されているので、文字通りラジオ感覚で使える。

行きつけのアイリッシュパブも実は、インターネットラジオが BGM だった。イギリスの放送なので、珍しい有線かけてるなぁと思っていたのだが、、。


それから、ホームページの作者がやっているラジオというのも、新しい。ブロードバンドとかストリーミングとかいうのは、コンテンツの利用者とコンテ ンツの提供者が、限りなくイコールになることが、発展の鍵だと僕は思っている。ホームページではあきたらず、ストリーミングをやってしまうホームページ管 理者のパワーっていうのは、久しぶりに新しい気がする。

気に入りのホームページの作者がしゃべるラジオ、というのは、なんとも新鮮であり、変な気分でもある。あのページの誰々がしゃべってる、すげー。とか思うのだが、その誰々っていうのは別に一般的に有名なわけじゃない。
「江戸川の中学生って怖ぇよな」とかそんなローカルな話をききながら、それは、やっぱり面白いのだけれど。


追伸:ちなみに、羊ラジオって、やったら誰か聴きますか?

注:お気に入りのラジオ局はここ。Smoothjazz.Com。DJ のおしゃべりが少ないのがいい。

サイト批判・批評の勘違い。人への配慮の欠落。ガンバレ管理者。

最近増えてきたなぁ、と思いつつも、時に不愉快に感じるのが、日記系・テキスト系のサイトに対する批評・批判。そして、それに起因するネット上での論争・トラブルだ。

この手の話でよく言われるのが「ネットに公開している以上は、批判・批評の対象になることは甘受すべきだ」ということである。確かに、その通りなの だが、それは、公開処刑のようにみんなの目の前で吊るし上げて良い、ということでは無い。自分の目の前にあるのは、ドットを映すディスプレイ装置にすぎな いとしても、その向こう側には生身の人間がいる。論争とトラブルを引き起こすネット上での批判・批評には、生身の人間に対する基本的な配慮というものが、 欠落していることが多い。

そもそも、文章を使ったコミュニケーションというのは、難しい。ビジネスの世界ではメールが大活躍だが、表現にはとても気をつけて書く。一般的に は、メールを使って誰かを非難したり、論争をしたりすることは避けるようにする。それでも話しがおかしくなりそうだったら、電話するなり直接会うなりし て、修正をかける。なにも、論争やトラブルが目的ではないからだ。ところが、ネットの世界では誤解が生じたからといって、会って話すこともないし、電話も かけられない。あげく、論争・トラブル自体を目的にして面白がる人もいる。


僕は個人的には、インターネット上で安易に特定の個人サイトを批判・批評するのは良くないと思っている。そもそも、批判・批評といったようなもの は、強者に対して成してこそ意味がある。自分の楽しみに、ちょっと文章を書いているような人のサイトに、いちいち文句をつけたり、洒落っ気もない皮肉を 言ってみたりしたところで、なんの意味があるだろう。面白い批評・批判を書くことができる人は確かに居るけれど、この種の文章というのは非常に難しく、万 人に書けるものではない。

一方で、せっかくサイトを作ったのに、いろいろ言われて嫌な思いをしている管理者の人たちには、どうかそういう声は気にしないで更新を続けて欲し い。いくら文句を言われても、結局最後は更新を続けた者の勝ちである。羊ページも、過去にはいろんな評価サイトで、ボロボロに言われたけれど、そういうい ちゃもんサイトは、だいたい長続きしない。みなさんの更新を楽しみにしている読者の人が、かならずいるはずである。そういう人たちを大切にして欲しい。


ネット上の他人への配慮を欠いた行為、コンピュータ社会独特のトラブル、争い。そういうことが、インターネット利用者の増加とともに、間違いなく増えている。それを他人は他人、自分は自分ということで、勝手にやらせておくことが、本当に良い事なのか?と最近疑問に思う。

実社会の中でも、隣の誰かの行為を注意できなくなって久しい。電車の中で何かを注意しただけで、刺されるかもしれない。だから黙ってしまう。ネットの社会でも、そんな風にして皆が口を閉じてしまったら、これから先、どうなってしまうのだろう。

注1:ひ‐ひょう【批評】‥ヒヤウ 物事の善悪・美醜・是非などについて評価し論ずること。「作品を―する」「文芸―」[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
注2:ひ‐はん【批判】 1. 批評し判定すること。ひばん。 2. 人物・行為・判断・学説・作品などの価値・能力・正当性・妥当性などを評価すること。否定的内容のものをいう場合が多い。哲学では、特に認識能力の吟味を 意味することがある。「強い―を浴びる」[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]

アクセシビリティー

Photo: 1998. Saipan, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38
Photo: 1998. Saipan, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38

前回の今日の一言では、「いろんな人が、いろんなブラウザで見られるページをつくってはいかがか」ということを書いた。じゃあ、具体的にはどうやるのだ、というのが今回の話。


とりあえず、簡単に自分のページのアクセシビリティーを測るには、出来合いの文法チェッカを使うのが良いだろう。例えば、Another HTML-lint を使えば、自分のページが、どの程度 W3C, WAI その他の勧告に準拠しているのかが分かる。

実は、最初に羊ページを採点させてみたら、エラーが 200ヶ所・得点 -300点と、惨憺たる結果。「HTML 洗って出直してこい!」ぐらいの勢いだ。抱いた感想は、「こんな机上の空論みたいな、アホ規格に準拠させたって仕方ないだろ。ブラウザ上では、今のコードでちゃんと見えてるのに、なんでこんなに点が悪いんだボケェ!」

でも、冷静に考えてみれば、当のブラウザは「机上の空論みたいな、アホ規格」の方に準拠しているのであって、間違っても僕に準拠しているわけではな い。僕が適当に書き上げたコードがきちんと表示されているのは、むしろ、たまたまという割合が高いのである。で、山ほどあるエラーを、一つ一つ潰していくと、確かに綺麗なコードになるし、互換性も(いくつかの例外を除けば)落ちない。前述の Another HTML-lint を運営する石野さんが FAQ で書かれている「文法よりも、内容が大事なことは明々白々ですが、文法を正したからといって、内容が損なわれることはありません。*1」というのは、まさ しくその通りだと思う。

ということで、最近、徐々に羊ページを書き直し中だ。羊ページは、フレームのタグも無い頃からつくってきたので、未だあちこちに(文字通り)前世紀 の遺物と言うべきコードが残っている。今となっては誰も使っていない Netscape Navigator 1.0 用のコードとか。


さて、文法のチェックというのは、あくまで HTML の話で、サイトのデザインとなると、これは何かで自動的に判断するというのは難しい。むしろ、余計なお世話と言っても良い。文字のポイント数の固定程度の ことは、ちゃんと文法チェッカがひっかけてくれるので良いのだが、サイトの構造とか、配色とか、そういう部分はやはり個人の主観が大きいし、むしろそこは 各自が「勝手にやる」べきだろう。それに、サイトというのは、割と最初の頃はいろいろ豪華絢爛にやってみたりもするものの、やがて枯れてきたりもする生き物なので、一概に「こうあるべき」なんて事は言いようがない。

ただ、絶えず自分なりに改良していくことで、なんとなく自分のスタイルにあった、なおかつ、訪問者のことにも気を配ったものが、作れるようになって くる気はする。最近ではホームページのトップに「ようこそ」と書くのはなんとなく恥ずかしい感じではあるのだが、そういう「もてなす感覚」みたいなもの が、今はむしろ必要なんじゃないかと思う。


最後に、右上の写真は、サイパンの日本人向けラーメン屋。いくら「もてなし」と言っても、ここまでユーザーフレンドリーだとかえって嫌だろ、という例。立っている男は紛れ込んで写った現地ガイドで、作者ではない。なんとなく載せた写真なので、特に意味は無い。「やしがに」が入荷しているらしい。


*1:引用 [Another HTML-lint][FAQ], 石野 恵一郎, Jun 06 1999
注1:机上の空論みたいな、アホ規格:真に受けないように。
注2:「コード」というほどのモノか、という気もするが、「タグ」でもないよなぁと思う。
注3:チェックとか一切してないのですが、トップに「ようこそ」って書いている方、ごめんなさい。
注4:もて‐な・す【持て成す】#3 歓待する。ご馳走する。平家物語11「御前へ召されまゐらせて、御引出物をたまはつて―・され給ひしありさま」。「心づくしの料理で―・す」[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]