写真のページ

[写真鑑賞]を作り直している。(極めてまれに)送られてくるアンケートの結果を見ても、このコーナーが「良い」と書いてくる人は滅多にいない。

原因は幾つかあるのだろう。(そもそも写真自体が「カス」なのかもしれないけど、、。)しかし、原因の一つに操作性の悪さがあることは間違いない。 このコーナーはとにかく重いし、操作がしにくい。あまりの操作性の悪さに、僕自身滅多に見ないので、ますますメンテナンスされずにほったらかしになるとい う悪循環、、。


なんで重いのか、というとデカイ写真を載せているためだ。なんで操作がしにくいのか、というとデカイ写真を載せているためだ。じゃあ、小さくすれば?

そうはしたくないのだ。写真を撮った僕としては、なるべく大きなものを見て欲しいという気持ちがある。写真を小さくし、圧縮率を上げれば、操作性は良くなり、ダウンロードの時間も短くなる。

しかし、そうはしたくない。それは、作り手の一方的な思いこみに過ぎないことは、分かっている。しかし、その手の思いこみを正すのは難しい。事実、 「出来の悪いもの」には、そういう思いこみに失敗の原因があることが多い。思いこみを正すのは、難しい。特に、芸術的やセンスの部分では。


しかし、今回は思い切って写真も小さくし、見栄えの点から拘っていた黒の背景もやめ、リニューアルしてみた。なんだ、少し見た目を変えただけじゃないか、と思われるかもしれないが、画像データは全て作り直し(作り直しだ!)、HTML も全て書き直した。膨大な作業量だ。

でも、どうせ分からないのだろうけど、、。

なんといっても、この羊ページ自体、サーバーに乗っているデータは 8MBぐらいだが(今回のリニューアルでかなり減った)、マスターデータは 400MBもあるのだ。(知らなかったでしょ)

スプートニクの恋人

少し長めの「今日の一言」を書き始めたら、なかなか出来上がらず、更新ができなかった。(まだ出来上がらないので、週末あたりには更新できると思う)


ホームページに感想を送ってくれた人のメールで、村上春樹の新作が出ていることを知った。

買おうか、買うまいか少し迷ったが、結局買った。

新作、「スプートニクの恋人」には、いつもの主人公「僕」がいた。「僕」は今度は学校の先生をやっているが、やはりプールで泳ぎ、料理をつくるのがうまい。

僕が初めて村上春樹の描く「僕」に出会ったのは、5年前。僕は、大学でくそ面白くない民族学の講義を聞き流しながら、「風の歌を聴け」を読んでいた。


ラッシュアワーの余韻が残る電車に乗って、いつもの曲を聴きながら、村上春樹を読む。

学生の時から変わったのは、電車の行き先ぐらいのものだ。

何も、変わらない。

羊をめぐる冒険

ファーストフードで、食べ残しのポテトと、包み紙と、紙コップ、ストロー、使い終わったナプキン、を捨てた。

ファーストフードで、食べ残しとゴミを、捨てる。

実に単純なことだ。


村上春樹の、「羊をめぐる冒険」の話をしていた。

小説の書き出しは、こんな風だ。

新聞で偶然彼女の死を知った友人が電話で僕にそれを教えてくれた。(注1)

余計な物は、いっさい捨てた文章。


僕は、捨てるのが極端に下手だ。

カラスには、光るものを見境無く巣にため込む習性があるそうだ。

僕は、いろんなものを抱え、捨てられない。

抱えているものが、自分から何かを奪い続けるとしても、だ。

羊をめぐる冒険(上) page 9 line 1 , 1985, 村上春樹, 講談社文庫.