
自己陶酔って、やっぱり能力で、それは成し遂げたり、這い上がったりするのには必要なものなのだろう。
でも、やっぱりそういうのが全然なくて、素で凄かったあの人が好きだったし、もう、その人がこの世にいないのがとても残念だ。
クズばかりが、生き残るのだ。
何が間違っているって、僕に結婚式の主賓スピーチを依頼する事ほど、間違ったことは無い。
一体、独り身の僕に何をスピーチしろと言うのだ。僕はあなたの信頼できる元上司かもしれないが、結婚生活の先輩では無いのだ。散々考えたが、僕がアドバイス出来ることは何も無い。もう、アレしか無い、3つの袋の話だ。
いや、ダメだ。プーチン結婚式スピーチとか、その方向性では一生恨まれる。全く骨子が決まらないままに、グダグダと現地まで来てしまった。すすき野のホテルにタブレットとBluetoothキーボードを持ち込んで、悩む。
いや、結婚式だと思うから書けないのだ。プレゼンテーションだと思えばいい、新郎新婦という商品をお客様に紹介し、いかに前途に有望なロードマップが広がっているかを説明すれば良いのだ。プレゼンテーションに最も重要なのは、もちろん物語性だ。そのあたりを押さえれば、だいたいスピーチになるんじゃ無いか?
北海道の結婚式というのは、やっぱりちょっと変わっていて、内地から見ると披露宴が二次会と混じったようなカジュアルな感じ。式場の中庭でちょっとしたバーベキューをしたりリラックスした所で、式が始まる。こういう感じなら、プレゼンにも入りやすいというものだ。用意した原稿はちょっとフォーマルに過ぎるので、少し砕けた感じでやればいいだろう。
全員着席。主賓のスピーチの前に、旦那の祖母から一言。ではなく、得意の詩吟を一節。詩吟?ちょっと待って、プレゼンの前に詩吟。からのプレゼンテーション、難易度高すぎ。
ふと、なんか、答え合わせを求められる年齢なんだな、と思った。
選択肢は一杯あって、あるいは一杯あるように見えるだけなのかもしれないが、なんとなく選んでいくと、方向性を詰められていって、なるような感じになってく。と思ったら、突然それが崩れたりもする。
最近思うのは、「オトナ」っていうのは居ないんだな、という事。子供の頃は、オトナというのが居るものだと思って居たけれど、結局本質的には何も変わらない歳を取ったイキモノが居るだけ。
オトナは言うほど主体的に自分の運命を選んでいないし、かといって、意外と理性の外で何かを決めて、運命をたぐり寄せたりもしている。どっちにしろ、コドモもオトナも、たいして違いは無い。もっと早く、そういう事は教えて欲しかった。
テキサスの片隅のショッピングモールに置かれたクレーンゲームでは、見慣れない珍妙なキャラクター達が、新たなオーナーとの出会いを待っている。こうして選ばれるのを待つのも、一つのカタチ。
僕の腕前では、誰一人連れ帰ることはできないから、試したりはしないけど。