フォトエッセイの記事一覧(全 321件)

向島百花園、再び

Photo: "A pond."
Photo: “A pond.” 2025. Tokyo, Japan, Fujifilm X-Pro2, Fujifilm M Mount Adaptor + Carl Zeiss Biogon T*2,8/28 ZM

「虫が多いから、最近はあまり来てないのよ」

ベンチに座る僕の前を、そんな会話をしながら家族連れが通り過ぎていく。そうだろうか。夏の盛りに比べれば、格段に蚊は居ないし、得体の知れない羽音もしない。鳥の声が秋の空に、鋭く響いている。

今の季節は、雪虫のような、ふわふわとした小さな羽虫が、庭園中の大気を漂っている。光にその羽が雪の結晶のように反射して、命が満ちている気がする。

多分、その中を歩くだけで、いくらかを潰してしまったりするのだろう。命の楽園というわけではない、競争と、淘汰と、運不運、そんな感じだ。


向島百花園は、九庭園の中では毛色が変わっていて、大名やら財閥やらが作った他のThe様式美みたいな庭ではない。多様な四季の植物が、細かく、様々に植わっていて、自然の諸相がより明確に見て取れる。どの柵の内側にも、いろいろな層の植生と、虫と、そういうものが満ちている。命の密度は、九庭園の中でも、ここはダントツだと思う。

ベンチに座って、亀戸で買ったパサパサしたカツサンドを食べている。頭の上を風が渡ると、葉が落ちる音がする。ここはそれなりに都心だから、全くもって静かな場所ではない。鳥や葉の音にかぶせて、直ぐ横を走る明治通りから、街の音が聞こえてくる。が、ここではあまり不愉快には思われないな。

天丼

Photo: “Gochiso Tendon.”
Photo: “Gochiso Tendon.” 2025. Tokyo, Japan, Apple iPhone 14 Pro Max.

いつもと少し違う駅で降りて、立ち喰いそば屋のあたりを歩くと、天ぷらと出汁の香りがしてくる。

子供の頃に食べた、出前の店屋物の匂いだ。甘辛い天丼のタレと、薄っぺらく切られた、酸化したぬか漬けの不思議な味。でも、その時、腹は空いていなかった。

翌日、無性に天丼が食べたくなって、ゆでたろうで持ち帰った。美味かったけど、ちょっと違う。


天丼てどこで食べられるんだ。そう言えば、「てんや」があったなと思い立って、隣町の商店街に行く。

この3年、オフィスからの帰りはタクシーでまっすぐ帰宅するのが精一杯だった。街をそぞろ歩こうなんて、思いつきもしなかった。それを今は、雑踏を眺めながら歩く。新しい店がいくつかできている。油そばの店に行列が出来ている。

てんやでのメニューは「季節のご馳走天丼」にした。初回でいきなり特上、みたいなメニューにするのはいささか気が引けたが、せっかくですから、というやつだ。鱧も、大エビも、穴子も入っている。タレは多めにする。味噌汁と、大根の漬物。てんやで食べるのは、多分初めてだった。店はこの街に住んでいた時から知っていた。店舗は古かったが、掃除は行き届いているようだったし、店員は洗い物を乾燥ラックにきちんとそろえていた。

天丼は、最初から最後まで美味に感じた。クーポンで付けた烏賊も良かった。人間が戻ってきたような気がした。
この数年を思うと、どこか違う場所から帰ってきたようだった。

何かがズレれて

Photo: "Early Summer Pond with Water Striders."
Photo: “Early Summer Pond with Water Striders.” 2025. Tokyo, Japan, Fujifilm X-Pro2, Fujifilm M Mount Adaptor + Carl Zeiss Biogon T*2,8/28 ZM

英会話から帰ってきて、ステーキを焼いて食べた。オージービーフのグラスフェッドは、焼いた後もフライパンに脂が残らない。実に淡泊で、今の自分には好ましい気がした。うまいか、と言われれば、USプレミアムなんかより、うまみはないのだが。楽に食べられるというところでは、そうなのだ。一昨年沖縄で買った、そして幾分湿気てしまった、ミックス・スパイスを振りながら食べる。

そうして、午後は国立近代美術館に行こうかと調べるが、混雑しているというGoogle Mapの表示が気持ちをなえさせる。それでも、自分を奮い立たせて準備する。でも、洗面所のドアの角に足の小指をぶつけて、一気にやる気が失せた。というか、これはあんまり良くない方向性、何かがズレている。無理に進むのは良くない、と思い直して美術館を諦め、すぐに昼寝に変えた。撤退、リトリート。

何度か目が覚め、そのたびに日は傾き、午後7時を過ぎたぐらいに起き上がる気になった。起き抜けのベットから、iPhoneが床に転げ落ち、ガタリと音を立てた。寝室の床に落ちたぐらいでは、別にどうということはない。無理に出かけていたら、もっとろくでもない目に遭っていた、そんな気がした。

まだズレている。もう少ししたら元に戻るだろう。


何もしなかった今日の締めくくりに、FujifilmのX-Pro2を引っ張り出してきて、調子を見る。暫く使っていないが、コンディションは全然OKだ。バッテリーは買い直してあるし、設定も見直して、ファームウェアも上げてある。準備は出来ているから、もう一度慣れて、手に馴染ませるだけの話だ。ある程度、見た目がカメラカメラしていた方が、かえって撮りやすいのではないかと、この前の市場の廊下で思った。それは、確かにそうなのだ。カメラマン然とした様式美のようなものが、写真を撮るという行為を周りに許容させる。そういうものだ。

ペーパードリップで入れたコーヒーを飲んで、夜の闇に光る橋を見つめる。コーヒーの良し悪しは、僕には分からない。美味い基準というのが分かっていない。だから、別に美味いとも不味いとも思わずに飲んでいる。だから買い置きの粉は、あまり量が減らない。いつ開けたかも定かで無い粉を、琺瑯の入れ物からついで、ドリップしている。多分、量は多くて濃い目なんだと思うが、全然減らないので、惜しくは無い。

タワマンに住むと、窓の景色は見慣れてしまって、やがて見なくなるとも言う。そんな気はする。内見で幾つかの物件を回ったときに、建ったばかりのタワーマンションも試しに見てみた。エレベーターホールは、デパートかオフィスビルのそれで、自分がこんな所に毎日帰宅するという想像がつかなかった。

その部屋から見る景色は、まぁ、眺めとしては良いのだろうけれど、地上から全てが遠すぎて、逆に見るべきものが無いように思えた。ビルトインの食洗機は魅力的だったが、まったく入居する気が無いことは、すぐに不動産屋にも伝わったのだと思う。部屋に来るまでの彼の熱心なセールストークは、止んでいた。


今住んでいる、この部屋から見る景色はずっと観ていられる。もっと、ずっと地上に近い。目の前を流れる川は、一時として同じ事は無く、違う流れが永遠に続く。ここにずっと住むことは無いにしても、もう暫くはこの眺めを楽しみたい。実際、この眺めにはいろいろ救われる所がある。対岸まで、まったく人目が無いのもいい。都心の空白地帯みたいなものだ。