「感性がすり減るのが恐い。自分が、何も感じなくなっていくことが恐い、、。」
その日、僕はいくらか酔っていて、安居酒屋のラミネートされたメニューを眺めながら、そんなことを言っていた。
このページに、何度も書いていることだけれど、人は慣れる。どんな辛いことも、どんな楽しいことも、どんな新しいことも、やがて慣れる。仕事も、生活も、だんだん慣れてくる。いろんな事は殻に覆われて、辛くもなく、楽しくもなく、なんでもなくなってしまう。
あるいは、人には、何かが出来る季節、みたいなものがある。少し前まで、そういう季節が失われるなんてことは、想像することもできなかった。でも今は、自分にひらめきみたいなものが失われ、日常に埋没して、なんとなく生きていってしまうのが、恐い。
信号機が、パッと赤に変わるように。あるいは蛇口から最後の一滴が落ちてしまうように。ある日、全ては、手の届かない記憶になってしまうんじゃないか。
いろんな痛い思いをするのは嫌だけど、何も感じないのは、もっと嫌だ。僕には変わりたい部分もたくさんあるけれど、変わりたくない部分もある。時間が、無情にそれを奪ってしまうことが恐い。
昔は、大人になるまでの年月を数えていたけれど、今は、残された人生の年月を数えている。そんな転換があって、こんなことを考えるのかもしれない。
いずれにしても、その居酒屋で蛸山葵をつつきながら口をついて出た不安は、未だに僕をとらえている。あるいは、その不安すら、失う日が来るのかもしれないのだが。
注:ラミネート【laminate】合板にすること。また、プラスチック‐フィルム・アルミ箔・紙などを重ねて貼り合せること。「―‐チューブ」[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]