死にたくない
とは実はあんまり思わなかった。ただひたすら、これ以上、怖い思いをするのは嫌だなとは思った。しかし、ここで終わりならそんなものか、という気分にもなった。
記憶というのは、その時に全部定着するわけで無い。1年以上を経た今になって、奇妙な実在感を持って自分の中にしみ出してきたような気がする。それ以前の僕と、それ以降の僕は、やはり違っているのだと思う。
何かに冷めたような、そんな感じもある。この生が、全くもって永遠では無い事の実感が、突然に深まった。そして、いったい自分が何をしているのかという冷たい思いも抱く。
それは別に悪いことばかりでも無い。捨てるべきものは何か、考えるべき事は何か、日々なにをするべきなのか。そういう視点が、日常に戻ることが出来た喜びとはまた別に、というか、その後から、やってくるのだ。
自分が繋がらなければいけない人は、別にそんなに居ないのだな、という認識があらためて深くされた。それは、特段残念には思えなかったし、意外に自分が身軽なことに気がついたのは、皮肉なものだった。
だから、あまり悲惨な目に遭った、という気分はその時は無かった。
ただ、一旦退院してから、再び手術のために戻ったときの方がトラウマレベルだったかもしれない。中央手術室の中を、まさか自分で歩いて手術台に行くとは思わなかった。冷徹で頼りがいの有りそうな目をした、麻酔科医が自己紹介をした。
廊下にはテレビで見たことがある、手を洗うための巨大なシンクが見える。部屋は予想外に巨大だった。無数のファンが唸る肌寒い手術室の真ん中に立って辺りを見回す。むき出しの銀色の空調と、巨大な機器と、パイプ、配線。アキラみたいだな、と思った。