苺狩りの季節。
最近のは、高いところに棚があって、腰とか全然痛くならない。なんて、知った風に言っているけれど、実は苺狩りは生まれて初めて。
清潔で、土の匂いはしないのに、植物の匂いで満ちている。ハウスの中は、不思議な工場みたいな場所だった。
練乳を使い果たす人、50個以上食べる人、アレルギー発症の限界スレスレに挑戦する人。
それにしても、見た目ではどれがウマイんだかちっとも分からない。赤くても、大きくても、形が良くても、それでも分からない。これはもう、カンを研ぎ澄ますしかないみたい。
写真と紀行文
苺狩りの季節。
最近のは、高いところに棚があって、腰とか全然痛くならない。なんて、知った風に言っているけれど、実は苺狩りは生まれて初めて。
清潔で、土の匂いはしないのに、植物の匂いで満ちている。ハウスの中は、不思議な工場みたいな場所だった。
練乳を使い果たす人、50個以上食べる人、アレルギー発症の限界スレスレに挑戦する人。
それにしても、見た目ではどれがウマイんだかちっとも分からない。赤くても、大きくても、形が良くても、それでも分からない。これはもう、カンを研ぎ澄ますしかないみたい。
うに、と、卵。
このうに、色がいいな?。と思って、思わず撮った。こんなに綺麗な黄色のうには、あんまり見たことがないかもしれない。
某氏主催のお客様感謝デーでの一こま。人の儲けに便乗してたかる趣味はないけれど、成功してる人のツキを分けてもらうような会は大歓迎。成功する、という意志だけが、やっぱり成功を導くのだな、と思う。
しかし、このうにはうまいね。それから、アワビとかをしこたま入れた、「ゼイタク巻」も大変結構なお味でした。お呼びいただき、ありがとうございました>主催者様
夜、遠くに鳴る電話の音。母親の押し殺した声。僕にとって、その音はいつも不吉な、よくないニュースの前触れだった。僕は今でも、夜中の電話の音が苦手だ。
全ての家庭が幸せな環境で子供を育てることが出来るわけではなくて、それに失敗するケースがある。そして、そのツケは、子供に行く。不幸なことに、 幼くして、暗い闇を覗いた子供は、それを忘れて生きることができない。だから、それをどう許して、どう折り合いをつけるのか、とても難しい闘いをずっとす ることなる。
守ってくれるものも、守るべきものもなく、一人で生きていくのはあまりにも辛くて、多分、無理なのだと思う。だから、いろんな方法で、生きるための 折り合いをつけようとする。殻に閉じこもって自分を守る子、犯罪すれすれのことに入り込む子、薬物に頼る子、、。みんな、見つけて欲しくて、助けて欲しい のだけれど、その手は、容易にはやってこない。ずっと、やってこない事だってある。
少し前の話。夜、寝ようとして、ふと合わせたテレビの番組で、どうしようもなくギリギリの目線で話す男の姿が映っていた。「夜回り先生」こと、水谷 修。定時制高校教師。夜の繁華街を歩いて、社会の底辺に沈む子供たちに手を伸べる男。暗い夜を知る人間にしか、語れないことがある。目を見れば、この人 が、どこまでも本気で、どこまでも痛みを知っていて、どこまでも子供達を愛そうとしているのだ、ということが一瞬で分かる。寝ようとしていたことは忘れ て、息を詰め、そのまま最後まで見た。
「私は、今年もう、5人殺したんです」
彼が関わった子供達のうち、今年に入って(それはもう去年になっているが) 5人が自殺や薬物の過剰摂取で死んだという。彼は、自分が「殺した」と言っていた。実際には、彼が関わろうと、関わるまいと、子供たちは死んでいたのかも しれない。それが、少し早くなったか、遅くなったかだけの、違いなのかもしれない。もちろん、子供たちが悪いのではない。彼らの環境が、そしてその環境を つくり出している大人達が悪い。そして、手をさしのべるのが、遅すぎた。何もかもが、遅かったのだ。
底辺。そこでは、人は実に簡単に死ぬ。薬物で死ぬし、暴力で死ぬし、自ら命を絶つ。あるいは、人は信じられない程無様になっても死なない。アルコール中毒で胃洗浄をされても、薬物で失禁して前後不覚になっても、若年糖尿で視力を失っても、死ねない。
それは、とても無様で、ややこしくて、格好悪くて、腹が立って、不愉快だ。しかも、人が死ぬ。人の命に関わるそういうことに、皆、できれば関わり合 いになんかなりたくない。親兄弟も、親戚も、恋人も、隣近所も、学校も、会社も、知らない振りをするし、しようとする。警察とか、病院とか、そういう「専門家」に押しつける。誰も、助けてなんかくれない。
それなのに、そういう子供たちの置かれた状況に積極的に関わろうとするこの人に、僕は、単に偉いというのではない感情を抱く。
Amazon で買った彼の本がまもなく届いた。内容は酷い、とても酷い。ただの本なのに涙が出た。10代という時間は、取り返しがつかない。それが、大人達の欲望と身 勝手のしわ寄せで、簡単に奪われる。その重荷は、全て子供たちに負わされる。その事に心底怒りながら、しかし、彼は、絶望しないで子供たちに声をかける。 一人の人間がどれだけのことができるのか?という質問をする前に、彼は目の前の一人を助け、彼に助けを求めてくる「全ての」子供たちを助けようとしてい る。本当に、「全ての」子供たちを。
そこに本当に希望があるのかは分からない。でも、絶望の中で、希望の光はより強く輝く。あの時の僕が求めることさえ知らなかったもの。それを、彼と出会うことができた子供たちが、彼の中に見いだせるだろうか。救って欲しい、と本当に願った。