マラッカ海峡

クアラルンプールのホテル、朝七時。
荷物は全部パックして、朝食を食べに降りる直前。南国の朝日はまだ弱く、少し雨が降っている。

使わなかったスーツのおかげで、バックはぱんぱんになっている。友達というにはおこがましいけれど、なんとなく心が通じるような相手が出来たことが、あるいは今回の一番の収穫だったような気がする。言語も人生も全く違う相手でも、技術に対する情熱とか、何かの共通点があれば、いろいろ分かることは多いのだと気づいた。

日本までの直行便は夜にしかなくて、それまでの時間を使ってマラッカに行ってみようと思う。
僕はもちろん、マラッカがマレーシアに属していることを知らなかったし、昨日の日中まではそこに行こうとも思っていなかったのだから、少し不思議な気分だ。

海峡を眺めることはできるのだろうか?眺めたらどんな気分だろうか?

ホテルの朝食はとてもバラエティーのあるビュッフェスタイルで、味も文句のないモノだけれど、一週間食べ続けていると、体が受け付けなくなってくる。昨日の夜、中華街の雑多な店で食べた、3分で出てきたチャーハンとか麺とか、そういう類が、不思議と美味しかった。

さて、カメラの充電も全て終わった、行ってきます。

鍋屋のランランの磁器

Photo: replica china 2009. Beijin, China, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

Photo: "china replica " 2009. Beijin, China, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

北京で鍋屋のランランが見せてくれた磁器。晩冬の北京の、弱々しい太陽に照らされている。

さる貴族が用いていた家財の一つだ、とランランは言っている様だったが、すり切れた敷物の上に重ねて置かれたそれらは、もちろん後代のレプリカだろう。しかし、逆にレプリカだからこその本物感というか、今の北京の日常の空気感、みたいなものを感じてしまう。


薄寒い部屋の中で、ランランはそうした、安っぽいレプリカを、一つ一つ一生懸命に説明してくれた。僕は、彼女が何を言っているのかさっぱり分からなかったが、その一つ一つを丁寧に写真に撮った。


去年の年賀状には、この写真を使った。最近は、年賀状を送ってくれた人にだけ、時間をかけて手作りで返すようにしている。

送った一人から「和で雅な感じ」という感想をもらって、そういえば、写真に何の注釈も説明も付けなかったことを思いだした。中国の焼き物が感じさせる和。

日本の焼き物の源流が、中国をルーツとしていることを、そのレプリカはちゃんと感じさせたと言うことなのか。

紫禁城の Hyundai

Photo: 玉座 2009. Beijin, China, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

Photo: “玉座” 2009. Beijin, China, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

故宮博物院は、どこですか?と訊けば、それはあんたが今出てきたとこだよ、と公安のおっちゃんは答えた。ああ、故宮博物院というのは、まさに紫禁城そのもののことなのか。

有名で、広大で、端から端まで歩こうとも思えない、かの天安門広場の北側に位置するのが、かつて清朝皇帝が住んだ宮殿、紫禁城だ。前回北京に来たときに、ちゃんと見なかったので、今日は気合いを入れて、カメラのバッテリーを充電してやってきた。


おっちゃんの指示通り、城壁の東側の小さな門から再び紫禁城に戻り、入場券を買う。鉄の柵で「強制的に」行列するようにつくられた入場券売り場は、冬場と言うこともあってガラガラだった。観光客は、圧倒的に中国人が多く、欧米人は殆ど見かけない。入場券を売る窓口の横で、明らかに非公式のガイドブックを押し売りするオバチャンと、浮浪者なのかただ貧しいだけなのか、区別のつかない老人が言い合っている。


ばかばかしいほどの巨大さと、虚飾。場内には、意外と沢山の観光客が居たが、それ以上に敷地は広く、混み合った感じはしない。幾つ目の門をくぐったのか、分からなくなった頃に、映画「The Last Emperor」でも出てきた皇帝の玉座にたどり着く。映画と違って、建物内に入ることは出来ないし、ハンドマイクのブザーで誘導されることもない。建物は修復されているが、冬の乾ききった北京の空気の中で、玉座の周りは薄暗く、埃っぽく、かつての威光を想像することは難しい。

群がる人混みをかき分け、条件も悪かったので、デジカメにものを言わせて、沢山の枚数を撮ってみる。連続するシャッター音に、周りの中国人が驚いた ようにこちらを見る。皇帝の玉座からひたすら奥に、つまり北の方角に進む。おそらくは後宮にあたる部分を歩いて行くと、際限なく小さな館が続いている。目に付く部分は、結構まともに補修されているが、少し裏に回ると瓦が痛んでいたり、石畳に穴が開いていたりする。柱は、豪快にペンキで塗られているように見える部分もある。補修というよりは、修理だ。こうした文化財に対する適当な扱い、というか、大雑把さには結構驚かされた。


中国は、およそ写真を撮ると言うことではやりやすいが、(もちろん、軍人や警官を撮ったりすると面白く無い目に遭う)博物院の収蔵品も撮り放題だったりする。皆、フラッシュも使ってバシバシとっているし、係員も何も言わない。ケースのガラスに触る人間すら居る。こうしたことに慣れた中国人が、海外旅行のマナーで問題を起こすのも分かるような気がする。基本的に、気にしないのだ。

宮殿東側の珍宝館と呼ばれるエリアは、更に追加の料金がかかる。10元。料金は安いが、あまり人気が無いようで、ガラガラだ。空いている観光地は大好きなので、10元払って小さな門を潜る。9匹の龍を彫った壁、西太后が珍妃を投げ込ませて殺した小さな井戸、素人には区別のつかない、いくつもの宮殿、 宮殿、宮殿。どこまで続くのか分からないだけに、正直、だんだんウンザリしてくる。

林立する館を抜け、ひときはやかましい韓国人の観光客の一団を追い越し、狭い門を抜けると、突然、後宮は終わった。高い壁が、後宮と外界を隔てている。目の前には、だだっ広い、朱の壁に囲まれた回廊が広がる。The Last Emperor で愛新覚羅溥儀が自転車に乗って、この長い回廊を走るシーンはとても印象的だ。それが史実にあったことなのかは分からないが、朱の回廊と、西洋の自転車の コントラストが、この映画のテーマを象徴しているように思えるのだ。


Photo: 紫禁城回廊 2009. Beijin, China, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

Photo: “紫禁城回廊” 2009. Beijin, China, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

尾の長い、青い羽根の鳥が先導するように回廊を飛んでいく。紫禁城と、これに隣接する中山公園には、緑が結構多いせいか、鳥を意外と多く見かける。その鳥を追って回廊を歩き、天安門方向に抜ける回廊との交差点でふと立ち止まると、公安の車が人混みの中をゆっくりと走ってきた。最高の権威から、人民のための観光地となった紫禁城。そこに、かつての権力の象徴から、徹底的に神秘性をそぎ落とし、大衆的な娯楽にまで貶めることで、その権威を完膚無きまでに打ち砕こうとした後代の権力者達の意図のようなものを感じるのは、穿った見方だろうか。

いずれにしても、かつての権力の場所が、観光地となって民衆を楽しませるというのは、日本でも、世界でも、あらゆるとことで見られる光景ではある。そうして、僕が日ごろは使うことの無い「民衆」という単語を使って文章を書きたくなってしまう、そういう気配が、この場所で目にした景色にはあった。かつて民衆は立ち入ることを許されず、女官や宦官が行き交った回廊には今、中国全土から集まった民衆が溢れ、楽しげに観光をしている。時代は変わり、この国は中国共産党が支配している。しかし、公安警察が乗っている車は、韓国製のHyundai。中国は世界の工場であると共に、世界中からあらゆる資源と製品を飲み込む、消費大国に変貌した。

僕には、ここからの眺めが、色んなものが一緒くたに詰め込まれた、オリンピックの後の中国を象徴した景色に見えた。