Solid State Society

mark490.jpg銀座を歩いていると、ニッサンのショールームに見慣れない車。何のコンセプトカー?と思ったら、攻殻機動隊のタイアップ企画だった。
攻殻の新作は Solid State Society
コミュニケーションの深化は、個々の意志の消失と、新しい集団的な意志の誕生を招くのか。ここしばらくの攻殻機動隊がフォーカスしているのは、おおまかそういうテーマのように思う。ともすれば、空回りするこの手のテーマだが、今回のSolid State Societyでは、登場人物の「人間くささ」のような部分を対立軸として丁寧に出していく事で、うまくバランスがとれていたという印象を抱いた。
コミュニケーションの深化はしかし、それでも、自らの体という制約を超えることは出来ないと、今の僕は思っている。そこに「義体」というフィクションを持ち込んだことに、攻殻機動隊のコンセプトの先進性と広がりがあるわけだが、果たして、本当の未来はどっちにあるのだろう。
それにしても、この攻殻機動隊の原作はコミックにして、3冊だけ。原作の新作は長く書かれていない。そのキャラクターと、プロットを元にして、再構成に再構成を重ねて新作を作り続けている。なんというか、これってサザエさん??

「教育問題を解決するには、世界からテレビをなくしてしまうことだろう。」

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20060809/245495/?ST=newtech&P=2

アランケイのインタビューを読んでいて、
「教育問題を解決するには、世界からテレビをなくしてしまうことだろう。」
というコメントに、極論ではあるけれど、共感した。もともと、最も安価なるベビーシッター(それは時に介護役にもなる)としてのテレビは、ずいぶんと議論されてきた問題だ。

僕は小さい頃、テレビをほとんど見ないで育ったので(家にテレビはあったが、壊れていた。僕の親は、それを直そうとは決してしなかった)、その頃は、テレビが見られる友達がうらやましかったが、今はそれは良いことだったと思っている。テレビが無くても子供は育つのだ。

もちろん、それは子供だけの問題ではなくて、大人の問題でもある。

テレビを見ていると、なんというか、時間を盗まれているような気がする。それは、テレビのプログラムに問題があるというよりも、見方の方に、より問題があると思うのだ。つまり、そこから何かを得ようというのではなくて、あるいは、何かを成し遂げたり、少しでも良くなろうとか、受け取ろうとかそういうのではなくて、ただ、時間をすり減らして「不愉快ではない状態で、かつ努力もすることなく」時間を消費していきたい。過ぎ去らせたい。そんな風に見るテレビは、文明に対する脅威、と言っても良いのかもしれない。それは大げさとしても(大げさではないと思うのだが)少なくとも、よりよい人生に対する脅威、にはなると思う。


そう言えば、この前、馴染みの居酒屋でカウンターの隣に座ったオヤジ二人が、携帯のワンセグを見ながら、ああだこうだと盛り上がっていた。確か、テレビの関係者だったはずで、まあ職業柄なのかもしれないが、それはとても不愉快な行為で、ワンセグ携帯って、なんてロクでもない機械なんだろうと思ったのだった。

ディズニーしー

Photo: ディスニーシーのメキシカン 2006. Japan, Contax i4R, Carl Zeiss Tessar T* F2.8/6.5.

Photo: "ディスニーシーのメキシカン" 2006. Japan, Contax i4R, Carl Zeiss Tessar T* F2.8/6.5.

「はぁ」
「支度をしろ」
「はぁ?」
「では」
「はぁ、、」
電話は切れた。


そうして、やって来た車に押し込まれて、北へ。やがて、車は舞浜で降りた。もしかして、これってディズニーしーって所?
「なんで黙ってた!」
「言ったら来なかったべ」
確かに。

ああ、テレビで見たことのある、でかい火山とかある。入り口から、いきなりミニーとかが居る。もう限界だ。自分のキャラ的にも、激しく居たたまれない。で、どのアトラクションに乗るのですか?

「まず、飲みます」
はぁ。飲むんですか。そして延々2時間。この人達は、なんでずっと飲んでるのだ。
「なんでディズニーしーにしたの?」
「しーは飲めるから」
はい、、。